後書き

この写真集は、2011年にある写真コンテストに応募して落選したものを再編したものである。オリジナルはA3ノビ、40枚、全てランドスケープのものであったが、ウェブで公開するにあたり一部削除している。また、この後書きは作品説明として書いたのを再編したものである

概要

若者たちの孤独のありかたと、入れ物としての写真というのを主題に撮り、「一年」というくくりの元にまとめて作品とした。

賑やかで薄い、無自覚な孤独の中で生きているデジタルネイティブ世代の若者達に、深いポジティブな孤独を感じとって欲しい、という思いと、この写真の集まりを通じて、自分の気持ちのありようを考えて欲しいと考えた。

若者たちの孤独のありかた

「デジタルネイティブ」と呼ばれる若者たちは、インターネットを通じ対面でないコミュニケーションを使いこなし、常にたくさんの誰かと繋っている環境に身を置いている。しかしながら、対面でないコミュニケーションは、対面のそれに比べ非常に情報量が制限されているので、お互いの本心を、その底のほうから伝えあうには不十分である。すると、たくさんの誰かと繋っておきながら、心の底からの思いを誰にも話せない、薄くて広い、賑やかな孤独を味わうことになる。

この賑やかさのせいで、普段の生活では孤独感を忘れがちであるが、自分はそれを良いと思っていない。深く強い孤独が人間生活であるということをちゃんと認識すべきであるのに、賑やかさで紛らわしながらの浅く弱い孤独に無自覚であるというのは、直感的ではあるが、大変に残念なことに感じるからだ。

そういう思いの中で、自分は、見た人が「孤独」を認識できるようにという思いを持って、写真を撮った。

無人のポートレイト

ふと視野を広げたときに眼に写りこむ人がいる。誰もいない場に人の幻影を見るというのは、例えばそれが懐しさに起因するのであれば、記憶の中にある風景でしか幻影は現われないはずである。しかし実際には、全くの新しい場所でも、ないしは全くの新しい場所のほうが、幻影は現れる。新しい場所のほうが、自分に関係しているものが少ないからだと分析し、自分はこの幻影は孤独の射影だと考えた。

作品は鑑賞者の思いの入れ物であるべきだと考えている。この作品を見て、鑑賞者が自分の作品を作ろうと思えるようなものを作りたかった。写真の中にいる幻影は写真には写りこんでいない。それは鑑賞者の中にあるからだ。鑑賞者にはそれぞれの幻影を写真にあてはめ、自分の追いかけている幻影の存在に気付いて欲しいと考えた (すなわち、自分の孤独に自覚的になること。孤独は作品制作の第一歩であると考えるからだ)。自分としては、人を撮っているつもりであるから、人が変数になっているポートレイトのつもりで撮影している。

写真は絵画とは違い、必ず、実在する風景をそのまま写しこんでいるから、鑑賞者は見た幻影を単にファンタジーとして片付けにくいだろうと考えた。これらが写真である意味は、鑑賞者に自分が感じた思いに対しいい訳をできるだけ与えないためである。