<meta name="description" content="元BURGER NUDS( バーガー・ナッズ )、Good Dog Happy Menの公式サイト">
この説明はどうなんだ。
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この説明はどうなんだ。

やりたいことをやりまくった。でも、本当にやりたいことはやってない。なぜならそういうのはやりたくでもできないことだから!
Most beautiful in the world (Good Dog Happy Men) が予想以上に良くて、聴いているとすごく幸せな気分になる。まぁけっこう、独りで切ないんだけどこれ。
なんていうんだろうか、Most beautiful in the world の雰囲気って、文化祭の準備期間みたいな雰囲気で、なんかすごく楽しくて、でも目標の日が終わったらあっけなく終わってしまうような感じがあって、気持ちいい。
学校が始まっても、GDHM の歌が悲しく聞こえないように願う。
BURGER NUDS で時々あるのが過去の風景、というか思い出。例えばミナソコは完全な過去の風景だ。
他にも片目は失くした あの日置いてきた
とか、指輪も一応そうだけど、指輪は前に書いたように、常に振り返ってもいい思い出なので、ここで言及するものとは違う。
ここで言及するのは、いつまでも綺麗なままにしておいて、たまに眺める位のほうが自分に力をくれる
思い出について。
こういう思い出っていうのに、人は往々にしてとり憑かれやすい。特に現状が芳しくない人ほど。MARCH はまさにこういう状態になったある人についての描写がある。上にも少し書いたけれど以下の部分がわかりやすい。
目に浮かぶことは全部思い出で 目に写る物は全部汚くて 片目は失くした。あの日置いてきた。
これに対し、boys in blue がある。
過去の思い出の映る蜃気楼・もうそこにはないものを見て、「もう大体終わっちまった」から「まだ何も終わってないさ」までの動きがある。しかしながら、この a boy in blue は思い出にとり憑かれていたりはしない。
日々の残骸がにじむ心の蜃気楼 晴れるまで 晴れるまで いいだろう かざすよ ふり向かないで かけてゆく心
振り返ることで力をもらえる思い出
「非常階段をかけあがる」ってのは、過去の思い出の世界に浸ることの暗喩かな、と思う。あんまりいつも振り返ってばかりいるととり憑かれてしまう思い出なわけだ。だから、「非常」であって、最終手段としての思い出。