あー無駄だったのだな、とふと思うときがあって、つまりあの、嫌で嫌で仕方ないことをしていたことというのが、ある程度報われるときがくるのではないかと、今でも思い続けている中で、そんなわけないのね、というときがあって、そうするとまあ翻って、嫌なことするのは本当に何にもならない、無駄なことだなと、全然、当たり前のことにまた気付くことになるわけです。

なんか、やはり、そういうことに気付かねばならないということは、嫌なこともやらなくてはいけない教みたいなのに、知らないうちに入信させられていて、価値観を強要されているのだなと思う。こういう、人生で全く無駄にしからない文化的教義を発見しては、みな破棄していきたい。

▲ この日のエントリ