ねむい。でもねむい、とだけ書くような日記になんの価値があるのだろうか。それでも、ねむい、とだけ書いて寝たい気分だった。途中でそれになんの価値があるのかを考えたくなった。でもやめた。ねむいからだ。

Ruby を中途半端に感じるのは、Ruby がいろんな言語のいいとこどりをしてバランスをたもとうとしてるからで、嫌な人は嫌なんだと思う。極端な感じの人はたぶんあわない。

これ使っとけばマジカンペキー、なんていう言語は全然ないと思うけど、Ruby みたいに、いろんな言語からいろいろとりいれている言語をメインにすると、他の言語を学ぶときのハードルが低くなる。オブジェクト指向言語を学ぶときも、関数指向の言語を学ぶときも、「Ruby では……」を考えると良さが見えてくる (共通しているならそこは重要だってことが想像つく)。

僕にとっては Ruby はそれ自体がプログラミングの先生だ。雑誌の記事をいくらよんでもよさを実感できなかったオブジェクト指向を教えてくれたし、高階関数のエッセンスも教えてくれた。そういう機能を、コードを綺麗に書こうとしようとするだけで、自然と使わざるを得ないような感じになっているのがいいんだと思う。

自分は、時間の継続、次の一瞬、未来は、ある世界がたくさんつまった集合から、一つを、個の無意識の層で選びとっているように感じてる。それぞれの人がそれをしていて、しかしまた、それぞれの個がある程度を無意識の下の層でバランスをとりあって、相互作用をしてる。

  1. 個 * 意識
  2. 個 * 無意識
  3. 全 * 無意識

なので、どうにかして無意識にアクセスできれば、未来を変えられるように思っている。例えば強い思い込みとか、信念とか……でもそれらを手にいれるプロセスをふむのが、そもそも難しい。

厭世の読みを定期的に忘れる。なんかおれあたまおかしいんだろうか……記憶が効かない


楽天的ってそこそこよく聞くし、よく使うけれど、厭世的ってあんま聞かないよなぁ。

あぁ、厭世的じゃなくて悲観的ってはいうからきかないのか

id:quaa さんが書いてて知ったけど、その場編集使うと ins の datetime が挿入されない……これはなおしてほしいなぁ……

GDHM のグロリア#3をきいたら少し楽になった。

天才な女の子よりは、器用貧乏な女の子のほうが萌える。

学校に出した書類が不備で送りかえされてくるらしい。なんかほんと書類書くのが苦手だ。

ああいうのアナログのって送ってみるまで妥当性検証されない。すごい無駄。しかも、その検証は人がやるから、全ての書類に対して同じような検証がかかるとは言えない。そのくせ、殆どの検証は機械にやらせようと思えるばできることだ。バカバカしいことこの上ないと思う。重要な書類ほど機械に処理させるべきだ。入試のときも同じことを思った。(マークシートは機械で処理されるけど、マークされているかどうかの閾がユーザにわからないのでクソだ)

自分は、心の根本的な部分の成長が遅い感じを中学ぐらいから感じていて、それがところところで、威力を発揮しだして、めんどうくさい……だいたいの人は、なんだかんだいって、友達をつくることができ、ある程度安定した場みたいなのを築けるみたいだけど、そういうのができない。たくさん人がいるところでの、社交性みたいなのが、全くわからない。

そこらに沢山人がいるところでの、独りである感覚、絶望感、みたいなの。賑やかな孤独。知らない人はもちろんだけど、中途半端に知っている人もダメだ。飲み会みたいとかでの、ふと気分が下った瞬間から感じるそういう真っ暗で冷い感じがどうしようもなく嫌だ。人が多いほど、制御すべきことが多くなって、気分を上げにくくなる。誰だってあることだ。

誰でも、社会的な役割を無意識に感じとっていて、それに収まるように行動してる感じがする。みんな嫌だろうがなんだろうが、繋っているようだし、その繋っている部分で、バランスを調節しあってる。誰かがいなくなると、そこに近い人がそれをおぎなってく。嫌な人が一人いなくなっても、誰かにその役割を譲るだけだ。誰かとっくの昔にいってるはずだこんなこと

バカがバカなりに生きていく方法を考える。