ねむい。でもねむい、とだけ書くような日記になんの価値があるのだろうか。それでも、ねむい、とだけ書いて寝たい気分だった。途中でそれになんの価値があるのかを考えたくなった。でもやめた。ねむいからだ。

Ruby を中途半端に感じるのは、Ruby がいろんな言語のいいとこどりをしてバランスをたもとうとしてるからで、嫌な人は嫌なんだと思う。極端な感じの人はたぶんあわない。

これ使っとけばマジカンペキー、なんていう言語は全然ないと思うけど、Ruby みたいに、いろんな言語からいろいろとりいれている言語をメインにすると、他の言語を学ぶときのハードルが低くなる。オブジェクト指向言語を学ぶときも、関数指向の言語を学ぶときも、「Ruby では……」を考えると良さが見えてくる (共通しているならそこは重要だってことが想像つく)。

僕にとっては Ruby はそれ自体がプログラミングの先生だ。雑誌の記事をいくらよんでもよさを実感できなかったオブジェクト指向を教えてくれたし、高階関数のエッセンスも教えてくれた。そういう機能を、コードを綺麗に書こうとしようとするだけで、自然と使わざるを得ないような感じになっているのがいいんだと思う。