TAMRON SP24-70mm F2.8 Di VC USD (A700) と Canon EF100mm F2.8Lマクロ IS USM を持って昭和記念公園に行ってみたけれど、使い比べてみるとだいぶ違うなあと思った。ただこれが画角によるものなのか、性能によるものなのかハッキリしない。100mm の画角がそもそも長いこと使っていてすごく使いやすく感じている (普段の写真用の目の画角を100mmぐらいに設定しまっている) のもあるだろうけど、100mm のほうが撮っていて楽しかった。

24-70 は意識的に、今まであまり使っていない 24-35mm らへんを使おうとしているけど、慣れていないのですぐ望遠側70mmにしてしまうことが多々あった。しかし 70mm で開放にしても、背景が割とうるさく感じるので、撮りかたを変えないと駄目だなと思った。100mm だと適当に撮っても気持ちいいんだけど、もっと頭を使わないとだめだ。

感動するとか、撮っててめちゃくちゃ楽しい! というレンズではない気がするけど、それは単に自分に腕がないことが実感できるだけなのだろうなと思うので、めげずに使っていきたい。70-200mm を買った直後も 100mm 前後しか使わないことはあったし、100mm を買ったときも 50mm との感覚の違いには大変困ったので、経験の問題だと思う。

人間の顔が写っている場合、ホワイトバランスを大きくいじれないので、あとから写真全体の雰囲気を変えるのが難しい。一つでも顔が写っている場合、それに最初に注目してしまうので、そもそも写真のホワイトバランスが鑑賞者に与える印象が薄い。顔が入った時点で、顔の印象が支配的になるので、もし現像プロセスで気をつけるとしたら、とにかく顔の印象だけで良く、それがどうにもならないのであれば、もうどうにもならない。そんなように思った。撮影時の技術はよくわからない。

人が写ってる写真を写真展とかで見ると、これは写真作品なのか、ともやもやする。それは当然もちろん間違いないのだけれど、顔の印象の大部分を支配するのは被写体の顔 (=DNA) だし、次に支配的な表情を生みだすのはコミュニケーション力であって、光を写す、写真そのものを使った表現ではないじゃないかと思ってしまう。

とはいえ、じゃあ他のものはなんなのか、例えば風景写真はどうなのかと考えてみても、それも自然を借りて写しているだけだし、なので単に自分が、「生まれもった才能」と「コミュニケーション力」というものを嫌っているというだけだと思う。

桜ヶ丘から高座渋谷まで歩いた。