ふと気がつくと一昨日やったことなんて微塵も覚えていないのだけれど、こうやって日記を書いていると一応「何か」をやっていたことはわかる。不思議なことだ。

tDiary を使って日記をつけはじめたのが 2003-08-20 らしい。それより前も PHP で書かれたクソスクリプトを用いて書いていた。手元には一切データが残っていないので、Web Archive で調べてみると 2003-02-04 から独り言とかいう名前で書いていた。クソみたいな HTML ソースだなぁ。でも2年前の日記はクソみたいな HTML より吐き気を催す危険物。どうでもいいけど NULL::something っていう名前は 2003-02 - 2003-04 の間についたらしい。へぇ。

だんだん一日に書く文章量が増えてる。なんでだろう。余計なことくっつけすぎなのかな。

それにしてもその日記を書いたのが2年間前とはとても思えない。もっと前に思える。それっぽいウェブサイトを構築できるようにはなったけれど、それ以外のことはなにもできていない。しかもそのウェブサイトを構築できるというのも趣味の域を出ていない。

俺はプログラム (とりわけスクリプト) の話をよくするけど、本当のところ殆どプログラムなんて書けない。頭が普通についていけない。多くの場合、俺の書くスクリプトは他人の考えたアルゴリズムをいくつか組み合わせたにすぎない。レゴを組み立てるようなもんだ。考える必要のあるパズルではなくて、積み木。それに俺が思いつくアイデアは既に実装されているのでアルゴリズムを新たに考える必要性があまりない。

願わくば、イメージをそのままウェブサイトのデザインにしたり、文章にしたりしたい。今のところ手が勝手に何かを作るのを見てイメージを逆算している感じでしかない。数うちゃ当たる、みたいな。この方法は趣味ではいいけど、作りたいイメージをすぐに作れるわけじゃない (手が作ってくれるのを待つしかない) から責任があるときにこの方法は使えない。

それにしても責任という言葉はあまりに重いと思う。義務と言い換えてもいい。少し前によく書いていた「頑張れ」も、義務を追加する言葉になりえる。素直に受け取れといわれても、それはチャーハンに混ぜられた嫌いな食べ物みたいなものだから、どうしようもない。

日記の話からだいぶズレたけど、結局俺が言いたいのは、日記を書くのがそれなりに楽しいことだっていうこと。

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