なかなかうまく人間ごっこができない。
人間ごっこについて考え始めてから、Syrup16g の一部についての解釈が少し変わった。ので、人間ごっこに関係するあたりを引用してみる。
全てを喜びに変えろ
君は死んだほうがいい 外の世界はどんな風
人間ごっこを自覚しろ、という風に解釈するようになった。
頭はハピネス いつもハピネス 多分ね 一生 俺はハピネス 不幸もハピネスだろう
「ハピネス」はまさに人間ごっこ
例えばシロップ以外でも 現在位置の自覚をせんと
だとか、「愚か過ぎた」と神様ごっこしよう
だとか、ART-SCHOOL の木下氏が日記でいう「客観視」だとか、結構ある。
客観的な自分の位置と、それを見て楽しむことができること、が重要だった。
透明の日々って、少し前までは、特に学生生活のことを指しているんだと思っていたけど、実際は別にそうとも限らないことに気付いた。確かに学校内だと特に透明の日々が強調されやすいんだけど、逆にその程度だった。
透明の日々といえば、やはり「鋼鉄の朝 (BURGER NUDS)」がメインだけど、他にもでてくる。日々はにぎやかな孤独
。syrup16g における やっているのは誰かの代わり
。ユメミルクスリとかいうエロゲーでは透明の日々というのがそのままでてきた気がする。
極めて簡単なことをいろいろ考え直す必要がある。