正しさは反論できないけど、納得できるかどうかは別の問題だと思う。だから表現。所詮論理なんて人を説得したり、理解させて納得させるための手段なのに、それが一番になって表現がないがしろになって、納得しにくくなったら意味がない。

数学の証明が、他人にわかるように書けばいいことに気付くまで時間がかかった。しかも解ったときには既に文系に進んでいて数学の授業がなかった。それまで自分は「コンピュータに理解させる証明」を書かないといけないと思っていた。でも証明に使うのは自然言語だから、そんな証明は書くことができない (コンピュータはそもそも「理解」がいまのところできない)。だから「とりあえずこう書けばいい」の組合せから抜けられなかった。

でもまだ、なんで自然言語で書かれた証明が「証明」になるのかよくわからない。みんなが考えている「論理的方法」が本当に同じものなのかわからない。頭悪くてどっちにしろ証明自体が楽しいと思えるようにはならないだろうからどうでもいいといえばどうでも、いい。


伝わったって感じることが大切だと思う。


関係ないけど、プッシュ型のメディアとプル型のメディアってちゃんと考えないといけないと思った。プッシュ型のメディアで大きいコンテンツを配信するのってちょっとどうなの……みたいな。「読まされる」とか「聞かされる」のって気持ち的にあんまり好ましくない。話の長くならないように気を付けないと……

「すいません先生! あとでじっくり考えたいのでブログに纏めておいてくれませんか? 今は作業を進めたいです!」

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