なんていうか、あんまり環境を変えることを難しいと思わない。休学してなんかどうでもよくなった感じだ。どんなことになったって死んだら全てが終わるし、でも死ぬよりもっとリスクが少ない方法があるから、それならもうめまぐるしくいろいろやって、そういうことが全て、自然に生きていけるように、うまくいかないのならば、死んだらいいかって感じだ。そうやって生きてみて、ダメだったやつがいる、うまくいったやつがいる、っていうサンプルになれば、面白い自動的なアートの一つになる感じがする。参考にならないかもしれないですが、これが僕の人生でした、っていって死ねればいいと思う。ダメだったときは、助けてもらった全ての人へのお礼と謝罪を書いて、うまくいったなら、どういう人間が障壁になったらを書いて、そこに至るまでのことは、ずっと書いてきているわけだし、死ぬために更めて書きくだすために生きる必要があるなんてことにもならない。

君がここにいるためには……みたいな論じかたはなんだかあんまり興味をひかない。それならいいです、他の人がそこにいればいいです。別に僕でなくちゃいけないようなことっていうは、本当に全くない。だから僕は僕が満足できるように、僕の定める真剣さと誠実さを元に、徳を養い、もしその過程で他の人と関わる必要があるなら、そのときそのとき、効果を最大にする方法を考えればいいかなと思う。僕は誰かとなにか競争していくのはやめにしたい。

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