見るたびにいちいちコードを読まないと安心して使えないライブラリなんてライブラリの価値がない。ライブラリ自体はブラックボックスになっていても、インターフェイスからその挙動を想像できるべきだ。

ライブラリを使っている側のソースを読む場合ではなく、あるライブラリを使おうとするときは、一度はライブラリの読んだほうがいいとは思うが、その目的は、そのライブラリが信頼できるかを計るためで、使いかたや、細かい挙動を確認するためではない。そして「どの程度信頼できるか」ということ、すなわちイケてるかイケてないかだけを覚えていればよい。

あるライブラリを使ったコードを読むとき、そのライブラリのソースまで毎回を読んで挙動を調べたりしなくてはいけないライブラリはインターフェイスがイケてない。ライブラリのインターフェイスが説明的になっていない。適切なインターフェイス設計がされていない。

適切なインターフェイス設計がされていなくても便利な「ライブラリ」は存在するけど、それはようするに便利なコピペ関数の寄せ集めである。あくまで書くとき便利なだけであって、読むときは害になる。

書くときに便利になるだけのものにはあまり意味がない。簡潔に書けることの目的はタイプ数を減らすことではなく、読むときに理解しやすくするためだ。

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