やっぱり、なるべくしてこうなっている感がヒシヒシとするなぁ。別に誰が悪いわけじゃなく、強いて言えば結局のところ自分が悪いということになるのだけれど。
何か楽しいことにどうやって首を突っ込むか、というのは、そのときの環境に依存する。そのときの環境はそれまでの環境に依存する。自分は環境の反射であるのだから、やっぱなるべくしてなっているな、とか、なんとか。知らないよ。
調子に乗らないように、とか思ったりして、時々不特定多数への DIS を見たりして落ち着いたりとか。そういう意味で、DIS って必要だなって思った。嫌だけど。
環境に求められている能力がないということは、つまり自分が自分でないことなんだよね。で、その差がいまいち釈然としなくて気持ち悪い感じ。じゃあその自分でない自分っていうのは、誰なんですかっていう、よくあり気な問答があるわけで、問答とか言いつつ答えがない罠が待っているわけで、なにこれ、みたいな。
アウトプットしないといけないのに、どうもアウトプットする能力が明らかに足りていなくて、あるいはモチベーションとかも足りていなくて、結局何もアウトプットできない。作れない。
どういう人がすごいかっていうと、なんだかんだでアウトプットが大きくて、それなりにフィードバックが (DIS であれ) ある人なんだよなぁ。そしてそのフィードバックを次に生かすことができるような、なんか、無理だな。
もちろんそのアウトプットは、適切な基礎があってこそで、あるラインを越えるまで、絶対的に孤独な向上作業であるはずだけれど、何か間違ってラインを越えないうちに誰かと何かをやったりするのは、困ったことになる。不安定なものを余計不安定にしてどうするんだ。しっかり基礎をやるべきだ。前も似たようなこと書いたなぁ。今年の4月だ (検索した)。
時間もっと欲しいなぁ。腐るほどあるだろうって怒られそうだけれど。