何度も書いているけど、新しい人とリアルで話すのは、果てしなく面倒くさい。相手がどのレベルでキレるか、相手がどのぐらいリテラシを持ってるかを、慎重に量らないといけない。こういうこと、どうにかできていたのが、その期限だったわけだけど、それがとっくに終わってしまってる。もう成り行き上仕方なく、という展開以外に、そういう作業はしない。というか、期限内でも、どうにかやっているというレベルではなかったように思う。慎重さに欠けてたように思う。もういいけど。
例えば大学で誰か知り合いを作るにしても、こういう手順を踏むのはなかなか難しい。たいして会うわけでもないし、しかも、量った結果が、望んだ結果であるとは限らない。というより、多くの場合期待は裏切られる。最初からないものに期待してる頭の悪さがここにある。
ネットリテラシの量りかたも、いまいちよくわからない。「これはひどい」の響き方が、タイプによって違うことに気付いたけど、どうも使い分けているような人もいてややこしい。ツンデレにしても萌えにしても、レベルというか、使い方の違いがあってわからない。フィードリーダーを使っていなかったりする。フィードリーダーを使っていてもあんまり購読していなかったりする。何か一個のことで、ちゃんと量れない。つまり、そこそこの長い時間をかけないといけない。どんだけ面倒くさいんだよ、って。かけた時間は殆ど無駄になる。そこまでして、いまさらリアルが必要か? リアリティで十分ではないか?
ネットで日記を読むのが面白いのは、画面の向こうの人の形を、こちらが自由に想像できるから。何か、自分の中のキーワードにひっかかる人の日記を見て、こういう人なんだろうか、こういう人なんだろう、とか、勝手に想像できる。自由に。ネットの中で完結している限り、自分の想像は守られる。
ここで、期待が膨らんで、コミュニケーションをとろうとしてみても、割と大丈夫だ。なぜかといえば、想像が侵されそうになったとき、自分からそのコミュニケーションをやめることができるから。自分の想像が、壊れない程度に、コミュニケーションができる。面倒くさそうなことになったら、回線切って寝ればいい。明日は曇りのち晴れ。
これが正しくない、と思うだろうかとか。実際、リアルでも同じようなプロセスが、より短時間により集中的により危険な状態で行われているだけ、だけど。一日の間に、何十もの勘違いをして、少しわかった気になって、次会うとき終わるような。しかも、何も全く知らないところから、手探りで。より無駄が多い。楽しみが少ない。よく考える時間がない。何より、コミュニケーションを強要されるのは面倒くさい。別に、そんな話聴きたくないよ。別に、こんな話、聴きたくないでしょう。
昨日は、9時間寝て、夢を見たけど、夢の内容を忘れた。いい夢だった気がする。けど、忘れた。忘れても、いい夢だった、と。雰囲気。でもたぶん、それじゃなくて、ちゃんと思い出しても、妄想なのかもしれないけど。
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