低ビットレートエンコしてノイズ入れて大音量で聴くと気分がとてもいいですね。あとこの曲の PV の後半はなにがなんだかわからないけど腹の底が強く圧縮される感覚があって素敵だと思う。ピロウズまじでかっこいいなぁ。

コーディングルールについて、僕はかなり神経質に考えている。プロジェクト全体の一貫性のなさが一番の悪だと思うからだ。そういうものは全く美しくない。汚いコードが、プログラミングをはじめたときから一貫して嫌いだ。コードだけじゃない。GUI のデザイン、特に昔よくあった、何故かボタンとかに無駄に色をつけて Windows の標準 UI を逸脱するようなものとか、そういうのがめちゃくちゃ嫌いだ。

僕はコーディングルールを定めて (というか書いてたら勝手に定まるものだけど)、書きくだしてる。でもそれはいつも守っているとは限らない。もっといい方法をいつも探している。より強い一貫性を探している。読みやすさと、一貫性が最重要なルールなので、それを守っていればそれより下のルールは変えていける。逆に、他人のコードを編集するときは周りのコードからルールをできるだけつかんで、自分が好まなくてもそっちのルールにあわせる。一貫性がなくなるのが嫌だからだ。

とにかく一番嫌なのは、一貫性がないこと、汚いこと。ルールを他人に決めてもらって、その範囲で「できるならなんでもやっていい」は間違っていると思う。

何のためか、誰のためかを忘れないようにするのが重要だと思う。僕は未来の自分が読みやすいようにコードを書いてるから (すなわちそれは、今の自分よりもスキルがある誰かを想定してる)、そのためのコーディングルールを持ってる。

目的を円滑に遂行するために作ったルールなのだから、ルールを守ることを目的にしてはいけない。ただそれだけだ。ルールを作らなくていいという意味じゃない。

コードを読むときは、読めないコードが出てきたときに、読めないことを恥じ、コードを書くときは、読めないコードを書かないようにし、読めないコードを書いてしまったときにはそれを恥じる。そういうバランスが、御互いに必要っていう、あたりまえのことだ。そこにコストを感じすぎるなら、たぶん一緒にやる相手を間違ってる。

fotolife は画像のサイズを設定できるのと、縮小法が汚くないのがいいっぽい。でもオリジナルを保存するっていう用途では別の使ったほうがよさそう。

言語覚えるのは十分に暇じゃないと無理だ。最初のうちは誰の役にも立たないものしか作れないし、そういう期間は結構長い。ある言語の面白さを熟知するには、暇じゃないといけない。

[niconico:sm3063884] いいうただなー

fotolife が容量無制限になったんだ。hatena++

早さを求めると美しさはないがしろにされやすい。早さに慣れると美しさを忘れてしまう。そうなったらおわり。早さを制御し、しかし遅いと言われないようにしなければならない。殆ど政治

なんだろう。この曲結構なんども聞いているはずなのに、今日になってやっと、頭にすぱっと入ってきて「いい唄じゃん!」みたいな、ひらめきみたいな感じをうけた。


あと「精一杯送ってた」がどうしても「精一杯のクーデーター」にきこえる。続きが「沈めた自分から祈る様なメーデー」だから、あんま違和感がなくてさっきまで気付かなかった。

なんかちょっと助けてもらいすぎかもなぁ…… ほんとうにありがたい……

自然と次のアクションを起こす気になるぐらいのものを作りだしたいものだと思う。

小学生か中学生だったときに親に指摘されて辞書ひいたけど、そのときには既にこの用法は載ってて「まちがってないじゃん」って思った記憶がある。僕は全然「全然OK」に違和感を感じないので、なにがおかしいのかわからないし、普通に使ってしまう。

普通に考えたらムリだけどナー どうなんだろう……

が頻出する文章はよろしくない。なにそれっていう

やっぱり、このアルバムが一番すきだなぁ

絶望的な作品の真の効力は、読者がそれを追体験することによって、そのような種類の絶望を乗り越えさせる点にある。

[asin:4101115060]


続きの文

それは免疫ということに似ている。折角のワクチンで本当に病気に罹るというのでは馬鹿げている。

3巻読んだ/読んでるけど、ほんといいなぁ。いろんな意味で突き刺さるコマとかあるよなぁ。喫茶店のゆのっちかわゆすぎる。モブキャラが全くハズさず可愛い。

そういえば、ヒロさんだけなんか美術科の学生っぽさがめっちゃ薄いよなぁ。

作る衝動は、プログラム以外では常にマイナスで内側なところからくるなぁ。

はてなって主婦多いんだなー デザインがしつこくないからなのかなぁ。なんでなんだろう

なんか咳がとまらない

今日は一眼レフを使えない。コンデジがどっかにあったはずだけど見当らない。ケータイケータイ

僕が誰かに殺されそうになるように、僕も誰かを殺そうとしているのかもしれない。

コミュニケーションって、同期的であればあるほど、物理的に近ければ近いほど強くなる。インパクト、速効性。でもそれは、強ければいいわけじゃないと思う。バランス。

電話、メールは、コミュニケーションの相手を (仕事とかじゃなければ) そこそこ選ぶことができる。IRC は、人と、話題までも、選ぶことができる。でもこういうのはやっぱり、対面の力より弱い。でも、対面は、選ぶことが難しい。

僕は、最終的には、必ず対面のコミュニケーションがあるべきだと思っていて、でも、それは選べるべきだと思う。インターネットとかで、出会って、例えば技術者同士ならば、カンファレンスとか勉強会で対面で話すことができる機会があって、それはある程度枠組みとしてできているけど、もっと広い範囲で、そういうのが適用できたらいいと思う。

例えば、本名をあかさない日記っていうのでも、長く書いていると、積み重ねによる信頼と責任が生まれるから、それを担保にして、会うことへの不信感を減らすことができると思う。というか逆に、僕の場合だと、日記書いてない人とは、不安なので会いたいと思えないことが多い。「本名」っていうのは、そんなに重要じゃなくて、大切なのは、積み重ねだと思うので、ハンドルだったり、URL だったりに、そういう積み重ねがあるなら、別に本名じゃなくていいと思う。

いや実際には、日記じゃなくても、5年ぐらいじわじわと、人となりがわかるようなチャットでも続けていれば、普通に会っても違和感とか、不安感とかは感じない。ネトゲのオフとか、長い付き合いの人とはそんなに驚きがなくて、普通の友達って感じだ。

とにかく、もっと、ネットは、物理的なものの延長なのだから、対面の接触を、安心してできるような方法を、うまく作る必要があると思う。