きてるよ!
生 Larry Wall が目の前にいる。すごいなぁ。人気だ
小学生のいぢめと一緒なので、一瞬たりとも反応をかえしてはいけない。見てみぬふり、心にとめる、そのことについて直接的なアウトプットを一切出さない、別の方法でアウトプットする、それが一番良いと思った。メモメモ。変換なしに脊髄反射のアウトプットを出しても、それでは情報処理装置としての人間の役目を果たしていないし、環境もよりダメな方向に行くだけで意味がない。
両親が昨日から旅行に行っているので、いつも母親の部屋に入りこむ猫がおれの部屋にくる。そのせいで5時ぐらいに起こされる。「げー」って思ってもっかい寝たら7時20分ぐらいに起きる。目覚ましが鳴ったはずだけど全く気付かなかった。あぶない……遅刻メールの作法がよくわかっておらず、そのメールを投げるとき考慮すべきことが多くて面倒だなぁっていう衝動で遅れないように気を使う。ネガティブで非コミュっぽい。表面的にはまじめに見えるだろうけどそうじゃない。
ヤカンでお湯を沸かしてインスタントコーヒーを作る。砂糖を入れまくる。カーテンを開けて、スティックパンを二つ食べる。食べおわったら部屋に戻り、Windows 機で開きっぱなしのニコニコのランキングを更新する。面白そうなのがなかったので電源を切り、MacBook でメールを確認し、Fastladder でレート5のフィードを読む。
時間になったので MacBook を閉じ、ケースに入れてからカバンに入れる。AC アダプタもカバンに入れる。サイフと定期を右ポケットに、小銭入れとケータイを左ポケットに入れる。ポータブルプレイヤーの電源を入れてヘッドフォンをする。カバンを背負い家を出る。鍵を忘れずに掛ける。
駅まで行く途中で何度か MacBook と AC アダプタを忘れていないかを確認する。忘れると死ぬからだ。
駅につくとだいたい電車がくるまで5分ぐらい余裕がある。天気や歩く速度でぎりぎりになったりもするので余裕がないと不安だ。行きの電車は乗り換えるまでまず座れない。ドアに寄り掛かってぼーっとする。立ちながら寝る。乗り換えで各駅停車に乘る。乗ったら座って次の乗り換え駅につくまで、カバンに顔をうずめて眠る。そして乗り換えをさらに二回する。今日は接続がよかった。よかったりわるかったりする。よくわからない。
帰る。電車がくるまで10分ぐらい待つ。都心の数分ごとのダイヤに慣れすぎている。タイミングが合いさえすれば眠る。乗り換え駅で起きたとき、右目のピントがどうしてもあわなくてぼーっとした。左目を閉じてぼんやりとしかピントがあわない状態で目の前の光景を見ると不思議な感じがした。乱視だからか頭を動かすと一定の箇所がピントがあったりして不思議だ。眼鏡をかけるほど眼が悪くないので想像しかできてなかった表現を思いかえす。ちょっと体感できた。時間が経つにつれて右目がなおってくる。
駅を出て、帰ってから何を食べるか考える。どうでもいい気がした。鍵をあけてリビングで、とりあえず猫の姿をさがす。元気そうだ。部屋に戻ってカバンをおろし、MacBook と AC アダプタを出す。めんどうなので繋がない。Windows 機の電源を入れる。押すだけ。風呂に入る。
出てからログインしたり screen のセッションを復帰させたりする。IRC のログを読み、メールをチェックする。フィードをレート3まで読む。ニコニコ動画を見る。絶望放送を聞く。
なんとなく日記を書く。傘を忘れたことに気付く。
フィルタリングは対象を自分で決めないと意味ない。
ひだまりスケッチみてるっていう 5 話ばっかみるのアレだなーって思いはじめると 9 話ばっかり見るようになる
オリジナリティがどうとか言ってるのをみると、なんかもやもやする。お前の DNA のどんだけがオリジナルなんだよ的な
だいたいの人は、幼稚園とか、小学校とか、物心がついたときから、環境を読みとって、立ち位置を判断して喋っている。空気読んでる。集団の中だと、普通はそうせざるを得ない。それをしなくて許されるなり、それをしなくて言われることを耐えられる強さなりっていうのも結局、ところどころで、環境が許している一定数で、それは運なのだと思う。「できる」ということの裏には常に、環境がそれをすることを許している、っていうことがある。
おれは極めて普通に育ってきて、思ったことをそのまま言うのは正しいことではない、環境・空気を読まないといけないと擦りこまれているから、本心では正しくないと思っていることを、行動してしまうことは多々ある。そのときの行動は、自動的で、自分っていうものがどうにかできるものではなくなってる。「どうにもできない」って考えることをやめればいい、という人がいるわけだけど、その「どうにもできない」と考えてしまうことが既に、どうにもできないことなのだ。そのときの無力な感じ、自動的な感じ、そして、その無力感さえもが、自動的なプロセスに組込まれている感じ、ループする。決定権なんて全くないように感じる。
それはとても希望がないけれど、いつも頭を過ることだ。意識というものさえ、化学反応の延長にあるから、反応を継続させていくだけの、自動的なことで、どうにもならない。「なるようにしかならない」はこれだと思う。
日記の文章さえ自動的に勝手に綴られるものだし、人工無脳がなんか喋っているのと何が違うのかわからない。
超絶やる気を失なって発狂しそうになったけど、inject っていうか reduce のおかげでまのがれた。不思議なタイミングだ
それがとても嫌だから、できるだけ関係性を断って、自分の自然なことをできるようにならなければと思ったのだったけど途中でそれた……
継続さえしていれば継続する中途半端さとして極端になる
青春を無駄にしてやってもなんの意味もないですよ。
d.hatena.ne.jp 以下でレート5,4,3 (毎日読む) 日記の数が 392 だった。でも印象に残っててかつ会ったことない人は 10 ないなぁ…… あと十倍読んだとして 100 いるのかなぁ。やってみないとわからないからやるしかない。
フィード自体は 2000 ちょい登録してて、hatena.ne.jp だけで半分ぐらいあるなぁ。
ミーティングで鎌倉いって午後暇だったから写真撮ろうと思ってうろうろしてみたけど数枚撮ったところでカメラのバッテリ切れたうえに予備のバッテリも切れててふてくされて帰ってきた。
現像ひどい
なんかほんとモニタによって違うなー 写真の周りのふちどりは #000 じゃないんだけど、MacBook の液晶だと全く判別できずに完全に #000 に見える。
どっちかって言えば参考書開いて、他人の決めたカリキュラムに従ってちゃんと勉強できて、それが成果にでるほうが羨ましいなぁ。成果が一定に出せるってことじゃんすか。それができるならいちいちやる気のコントロールに悩むことはないのだし、社会の中での柔軟性があってダメ人間になりにくいんじゃないですかね……大学卒業までの一般的なプロセスって結局そういう人を確実に育てるためのものなんだと思う……
透明人間になりたいかどうかっていうのが全体的なポイントなのかなぁ。なんでおれは透明人間になってはいけないって強く思ってたんだろうなぁ。なんの影響なんだろう……
どうでもいいことだった。とにかくおれはムカつくことをどうにかしないといけないのだった。透明人間がいいかどうかに関わらずおれは透明人間が嫌いなのだし、それはどうしようもないことだ。
不安だなぁ……
過ぎてしまえば、どれだけの嫌な思いをしたとしても、そのうちに忘れてしまう。そして同じような他の人の気持ちがわからなくなる。言葉を使おう。記録を残して、感情を再現する。再読されない日記に意味はないのだと思う。ブログは古くなるが、日記は古くならない。誰かに継続しているからだ。
< cho45> はぁおんなのこに目隠しされて < cho45> 「だぁれだっ?」ってやられたい
いやまじでヘタに説明されるより「これのコード見ろ」のほうが断然嬉しい。
5月にやることが多い……
人間ごっこってのは、孤独を強くするゲームのことです。
なんなんだろ。なにもかもへのやる気、みたいなのが、一切消えてしまう日だった。キーボードさえ重い。
繋りがあんまりないような夢を3つぐらい見たという記憶がある。どれも思い出せない。
ちょっと前に見たんだけど、ほんとすごいなぁって感じだ。面白いとしかいいようがない。恋愛モノかと思ってたけど違うんだなぁ。