不便より便利のほうがいいよ。技術をちゃんと使おうとしない人達は苦手だ…… 自分に制限をかけて不便を強いて楽しむのは別にいいけど、なんでそれを他人にまでやらせるんだろう。はたらけどはたらけど、なんてのをいつまでもありがたがってちゃだめだと思う。そういってそんなの望んだの誰だ。

自分がまだ購読してない人のアンテナに登録されていたりするとビビる。意図的に購読してないとかじゃなくて……

ちがう。読んでた人の別の日記だった。デスヨネー

でも誰に見られてようとこの id で書き続けるけどね……

やはり、一度会ったことがあるかどうかとか、顔を知っているか、声を知っているかで、その人の書く文章は変わって読める。「ああ、この口調はあの声なら普通かもしれないなぁ」とか、ちょっとそっけない表現の文とかも、想像される声や表情によって印象が良くなったりする。不思議だ。逆に、文字だけっていうのは本当にとても難しい。

殆どのことを保留しているんです。外を散歩していると、もし幸せに30代になれたのならば、きっと今と同じような気持ちであろうと考えます。

前のバイトのとき (インターンじゃなくて)、上司面談で「30代ぐらいになると、なんだかんだ落ちついきてしまう」みたいなこと (ちゃんと覚えてないけど) を聞いて、なんかふと、それはそうかもなぁという気になったと同時に、それでいいのかなぁと思ったのを思い出した。10代や、今のような謎の焦燥感はやがてどっかで消えるのかもしれない。いいのかわるいのか

いい散歩日和だなぁ。風強くて、暑くも寒くもなくて……

しかし死にそうだ

ばってんを見ると、そこにゆのっちが、いるような気がするんだ

基本的に自分のために直接利益になって、それがもしかしたら他人の利益にもなるかもしれない、ぐらいのバランスじゃないとダメっぽい

ブログじゃなくて日記なのはそのせいなのかもしれない。