土曜日は買ったCDのインストアミニライブのために大阪へ。家にいてもしかたないので、さっさとでかけて、キヤノンギャラリー梅田と、ニコンサロン大阪にいってみた。ニコンサロンは2つ展示があるんだけど、どっちも面白かった。

インストアライブ、結構人が少なめだった。No body knows my name の曲をいくつかやった感じで、アコースティックだけど結構熱くておもしろかった。「今の音楽業界にムカついてる」って静かに言っていたのが妙に面白くて「ああこういう人いるんだ」というかなんというか、ちょっと安心した。

理解力がないのはどうにもならないが、知識がないというのはコンピュータによってどうにでもなる。

明日買うもの

  • 赤色の油性ペン
  • プリント用の紙

Nobody Knows My Name - 門田匡陽

門田匡陽

3.0 / 5.0

を買った。なんとなくタワレコで買ったら梅田のインストアライブの引換券がもらえたので得した感じ。Dear My Teacher って GDHM のときにやってたやつかな。まだ聞きこんでない。とりあえず後夜祭がかっこいい。

あと

奇跡 - くるり

くるり

3.0 / 5.0

も買った。

日曜日ちょっと急に実家方面に行った。当日の午前3時ぐらいに行くことが決まったけど普通に行けるし、テクノロジー(新幹線)すごい感じがした。それで月曜日の朝に帰ってきたけど、最速で帰ってくると休日のアニメを出社までに自宅で消化できるぐらいの余裕がある……

インターネットを使ったコミュニケーションについて、対面のものより常に劣っている感じがしばらくついてまわったけど、情報量は確かにそうだとしても、削られた情報量のおかげで別の価値が生まれている点もあって、(当然なんだけど)単に質の違うメディアで、場合によって善し悪しがあるだけであった。

あとやはり曖昧さがとても必要な要素と感じる。

時間は自動的に過ぎるし、社会的な役割・立場は、刻々と変わっていってしまう。表層的な部分の変化は拒むことができず、受け入れていくしかない。その中でも、根本的で個人として最小の部分について、見極めないといけない。

そういう、どうあっても変化しない最小構成の人格を取り出して、言語化するためには、どういう方法があるだろう。例えば、環境に変化を与え続けると、変化しない部分は見えてきそう、ないしは、急激に変化を与えれば、もっと小さいものが取り出せそうだとは思うが、いずれにしても環境要因で表層を変えてしまうので、普段の中ではとりにくい方法に感じる。非破壊的なもっといい方法が欲しい。

自分の頭の中でぼーっと考えていることを、自分で信用できない。考えているときは確かさを感じるのに、言葉に実装しようとするとうまくいかないことが多いし、書き下しながら整然と考えると確かでないことのほうが多い。