金の計算をざっくりとしていて、ほんと親は無条件に尊敬できるなーとしみじみ感じた。

死ぬ前にやることスタックという考えかたが通用しなくなったときのことを考えていた。最悪ケースの逃げ道が確保できなくなった場合、自分がどうなるかと考えると恐しい気分になる。実際自分はこの考え方がないときに非常に困ったことになっていたので、またそうなるのは避けたい。

大学のときは、親に不義理を働いてまで (学費を全く無駄にしたり、大学を出て欲しいという期待を裏切ってまで) 休学やら退学して、別の方法をスタックに積み直して行動した結果、今は自分個人としてはそれなりに幸福に生活できているけれど、それはあくまで「最悪ケースの逃げ道」を選ぶよりはマシだからという精神的な窮地における逆ギレ的発想からきた行動をした結果運が良かっただけである。「死ぬ前にやることスタック」はそもそもポジティブな発想ではないし、窮地に追いこまれるまで判断ができず、しかも最悪のケースの逃げ道を走れないことがわかると、途端にリスクをとれなくなって行動が貧弱になってしまう……

今まで使っていた最悪ケースの逃げ道が使えなくなるとしたら、最悪ケースの逃げ道をもう少し別のものに設定するか、あるいは別の行動指針をとらなければならない。前者はあまり思いつかない…… 一生を通じて人に頼ることなく常に通用するものでないとだめだから、最悪ケースでも生きていけるだけの個人資産を形成するぐらいしかない (経済的独立を達成する)。そうすれば「最悪生きていくだけのことはできる」から何の問題もなくなる。後者はもっと思いつかない。新たな行動指針はきっとポジティブな方法論だろうけど、そういうのは全く思いつかない。「やりたいことをただやるだけ」という行動指針はありえるかもしれないけど、それをすると他人に搾取されるだけだし、それほど自分は盲目的になれない。

経済的独立をするにはそれをするまでの期間の行動指針が必要だし、リスクをとらないと実現できないので、実際のところこれはデッドロックしてる (またさらには最短で独立しようとすることを良く思わない人もいるので妨害をうけるだろう)。積極的にリスクをとれる人の精神構造が理解できればいいと思うけど、残念ながら自分には全く理解ができない。生まれたときから承認されていて何をやるにしても自信が沸いてくれば何か違うなのかもしれないけれど、実際はそうじゃないので、今自分にはいろいろなことを解決する「新たなアイデア」が必要になっているのだと思う。

金を稼ぐこと以外のことに頭を使いたいと思って、純粋にそのように生きてしまうと、他人に金で支配されて自由でなくなるのだから、すごく残念な世の中だと思う…… BI が実現されていればみんな自由になるのに……

ここ3週間ぐらいは、多少脅かされることもあるものの、ある程度のレベルでやる気が保たれていて悪くないと思われる。タスクの粒度が適切なのか何なのかはよくわからない……

考えうる最悪のケースのコストにそれが起こりうる期待値を掛けたぐらいのバッファは少なくとも必要だろうし、もしそのバッファがないのであれば、セーフティネットがないこの社会だと、悩む悩まない以前の問題なのだ。よくこんな綱渡りに思われる人生をみんな生きているなと想像すると感動的でさえあるように思われる。

「大金を手にしないほうがいい」という主張がどうやら嫌いで、そういうのを聞くとものすごく苛立ってしまう。その主張は実際に大金を手にした人が自分を省みたときに呟く程度のものでしかあってはならず、絶対に他人対他人のコミュニケーション間メッセージとして使用されてはいけないものだと感じる。まず第一に失敗を省みた結果を金のせいにするのも苛立たしいし、その自分のダメさを他人にまで適用できると考えられる自己中心性にも苛立つ。

それに人の言葉は放たれる立場によってメッセージ性を大きく変える。場合によるとはいえ、この言葉をコミュニケーション中に用いることは、安易に「頑張れ」というぐらい思いやりに欠けているように思われる。あるいはもし安易に「頑張れ」というなら、努力は報われるべきなのだから、主張自体が矛盾するのだと思う。

その時その時適切な判断を下しているつもりではいるけれど、一方で「ああしていれば……」と思うことはあって、そういう形で普通に後悔することがたくさんある。でももう一度ある時点に戻ってやりなおしたとしても、判断を下す天秤に載せるものが増えない限り、全く同じ判断を下すしかない。記憶を持ちこして時間を戻したりなんかができない現状では、たとえ今後悔していようが、当時の自分はちゃんと判断したのだ、必要なことだったのだと信じるしかない。

とはいえこれからできることについては、反省を十分に生かさなければならないし、もし後悔するようなことがあるなら、失なったものを取り戻せるぐらい考え抜いて判断を下さなければならない。

近くに19時30分までやっている耳鼻咽喉科があり、定時後すぐに行けば平日でも大丈夫だし、そこの医院のサイトが面白いこともあって、春に一度いって、少し前にまた行ってきたのだけれど、他の医院とちょっと違う感じがして面白かったので紹介したい。

ここはカルテが完全に電子化されているらしく、問診は先生がキーボードを使って入力 (ただしタッチタイピングというわけではない) していて、全くペンを使っておらず、僕はカルテは紙に謎の筆記体で書く決まりでもあるんじゃないかと思っていたのでそこでまずびっくりした。今どきこういうものなのかなという気もするけど、僕が行ったことのある医院では電子カルテは初めてだった。

春に行ったとき (そのときは咳がひどくて行った) 一番びっくりしたのは、問診していたらいつのまにか内視鏡を入れられているという体験で「ちょっと見ますよ」「鼻の奥ちょっと麻酔かけるね」「ちょっと気持ち悪いかもしれないけど我慢してね」とか言っている間に鼻から喉までさっさと入れて撮影してすぐ抜く、というものだった。その後は撮影した画像をこちらに見せながら説明してくれるので興味深い感じだった。

少し前も喉の調子が悪くて行ったのだけれど、一通り先生が見たあと、今回は口から内視鏡を入れて喉を撮影された。この内視鏡の撮影データはカルテと連動しているらしく、前回撮ったものも見せつつ「鼻は前回と同じ」「喉は今回こんな感じ」という説明をされて、面白かった。

診察自体とは別に、電子カルテの処方箋のUIもなんとなく見ていたのだけれど、薬の名前を「最初の一文字」「次の一文字」とインクリメンタル検索していっていて、素人考えだと「症状から適応する薬を探す」っていうUIが正しいんじゃないかと思うのに、その症状との対応付けは医者の頭の中にあって、あとは高速に薬の名前から検索できれば良いのだなーと、ターゲットによって変わるUI設計について思いを巡らせた。

先生は普通のおっさんなので情報化されたもろもろとのギャップが面白いし、待合室も綺麗だし、僕がいった感じだとそんなに混んでもいないので耳鼻咽喉科として普通にいいなという感じでした。

最近、雑誌原稿やら、社内のドキュメントやら、日記やらで、文章を上手く書けるようになりたいとしみじみ思うことが多いものの、どうやったら上手くなるのかサッパリわからず、とりあえず即座に解決できるようなことでもないし、なんか心がけというか、小さな発見をしたいのだけれど、漫然と書いていても発見があるわけでもないし、あんまり気にしすぎて書くこと自体が嫌になるのも駄目だしで、困った感じです。

何か文章を書くコツが書いてある本でも欲しい気がする。

2週間ぐらい体調悪いのが続いていたけれど、ようやく元に戻りつつある。とはいえ喉の調子が相変わらず悪い。花粉症になっても喉がおかしくなるし、風邪ひいても喉がおかしくなるし、なんかアレなんじゃないだろうかと思うけれど、一方その間一週間ぐらい全く下痢にならないみたいなこともあったりして (今日激しく下痢をした)、あっちを立てればこっちが立たない的な心持ちになったりしています。

休日、体調悪くて出掛けないで寝ているみたいなのがあったので写真のストックがあまりないし、日記を更新するのを忘れがちです。

頻出ワード、例えば「なんか」「そういえば」「思う」「気がする」「感じ」あたりを使用禁止にして日記を書いたら良くなったりしないかな。読み返しをしていると、自分の書く文章の頭の悪さに辟易することが多い。これは実際頭が悪いので、それが単に文章に表われてくるというだけなのだけれど、取り繕えるなら取り繕いたい。