ここ3週間ぐらいは、多少脅かされることもあるものの、ある程度のレベルでやる気が保たれていて悪くないと思われる。タスクの粒度が適切なのか何なのかはよくわからない……

考えうる最悪のケースのコストにそれが起こりうる期待値を掛けたぐらいのバッファは少なくとも必要だろうし、もしそのバッファがないのであれば、セーフティネットがないこの社会だと、悩む悩まない以前の問題なのだ。よくこんな綱渡りに思われる人生をみんな生きているなと想像すると感動的でさえあるように思われる。

「大金を手にしないほうがいい」という主張がどうやら嫌いで、そういうのを聞くとものすごく苛立ってしまう。その主張は実際に大金を手にした人が自分を省みたときに呟く程度のものでしかあってはならず、絶対に他人対他人のコミュニケーション間メッセージとして使用されてはいけないものだと感じる。まず第一に失敗を省みた結果を金のせいにするのも苛立たしいし、その自分のダメさを他人にまで適用できると考えられる自己中心性にも苛立つ。

それに人の言葉は放たれる立場によってメッセージ性を大きく変える。場合によるとはいえ、この言葉をコミュニケーション中に用いることは、安易に「頑張れ」というぐらい思いやりに欠けているように思われる。あるいはもし安易に「頑張れ」というなら、努力は報われるべきなのだから、主張自体が矛盾するのだと思う。

その時その時適切な判断を下しているつもりではいるけれど、一方で「ああしていれば……」と思うことはあって、そういう形で普通に後悔することがたくさんある。でももう一度ある時点に戻ってやりなおしたとしても、判断を下す天秤に載せるものが増えない限り、全く同じ判断を下すしかない。記憶を持ちこして時間を戻したりなんかができない現状では、たとえ今後悔していようが、当時の自分はちゃんと判断したのだ、必要なことだったのだと信じるしかない。

とはいえこれからできることについては、反省を十分に生かさなければならないし、もし後悔するようなことがあるなら、失なったものを取り戻せるぐらい考え抜いて判断を下さなければならない。