金曜日、帰宅後に御苑を歩いていたら気持ちよかったので、そのまま夜の嵐山へ。野々宮神社あたりまでいったがそれ以降は明りが全くないので戻り、桂川を下り、松尾大社、月読神社を通って自宅へ。思うところあって夜の嵐山には前々から行きたいと思っていたのだけど、タイミングがつかめず行けてなかったので、行けてよかった。いくつか撮影したいポイントがあったが、全く機材を持っていかなかった (カメラさえ) ので何もしていない。

土曜日、行ったことない神社に行こうと思い、賀茂波爾神社へ。こじんまりとした神社だった。深泥池にも行ったけど特に何もなかった。

日曜日、最近ちゃんと写真を撮れてないので、目的地をあまり定めずぶらぶら歩くことにした。とはいえある程度どこ歩くかとかがないと歩けないので、哲学の道を歩いてきた。残暑厳しい中、人が少なかったのでゆっくり歩けた。大豊神社に行ったことがないので行ってみたりした。なんとなく静かな休日だった。歩いていくにはちょっと遠い。

四葉のヤサカタクシーを初めてみかけた。思いのほか普通に嬉しい気分になった。

いつ見た夢か忘れてしまった。

誰かの結婚式だった。誰かというのは、顔も知らないが知り合いの女の子 (矛盾するが、夢なので) で、相手は全く知らん男だった。その子は大変素敵な女の子なので、くそー相手が羨ましいと思いつつ、幸せになって良かったなあと思う夢だった。

情熱大陸で探検昆虫学者・西田賢司というのがやっていて、とにかく、まさに情熱というものがあってカッコよかった。全然違う世界を見ているであろう眼をしつつ、落ち着いて話すので、悟りを開いている人みたいだった。

THE 世界遺産でクエバ・デ・ラス・マノスが取り上げられていて面白かった。

9000年ほど前から2000年前ぐらいまでの間に描かれた洞窟壁画の話で、特に手形がたくさん描かれていて、それだけで圧巻なのだけれど、それほど前から、長い年月をかけてずっと描かれ続けたというのが信じられない感じがした。それに、手形の壁画というのは、ここに限らず世界にあるというのも驚きだった。

手形を残したのは狩猟民族だった彼らにとって手が重要な象徴だったからという話がされていて、逆にいえば現代人は後生に手形を残したいと思うほどには手が重要な象徴ではなくなってるということだけれど、では現代人にとって最も重要な象徴って何なのだろうと思った。ほんの少し前までは日本人には稲作がものすごく重要であったから、稲作関係ものは象徴的で、風習的にはちゃんと今もたくさん残っている (全国の稲荷社とか新嘗祭とか) けれども、それも今飽食の時代がやってきて、もはやそこまで重要視されているようには思えない。発達・発展するにつれてそういうものはいらなくなるのだろうか?