おれはこんなこと書くことで何がしたいんだ? 誰かに「あいつってはあんなこと考えてるぅ」とでも思われたいのか。本当におれは気持ち悪い。でもやめることができない。日記により死ぬことを考えられるようになる。おれが死んだときに「あぁこいつ死んだのか」とそのうち誰かが思えばいい。そう思うことで、「いくらか悔いはあるけれど、死んでもいいか」という気持ちになれる。もちろん実際死ねるかどうかは関係ない。たぶん死ねないだろう。でも死んでもいいか、という気持ちになれることが大切だと思う。

これから、ネット世代が死んでいくと、ブログサービスはどうなるんだろう。もちろん運営会社が潰れない限り、リソースはもとの位置に残りつづけ、潰れたとしても、あらゆるところにキャッシュされたリソースが残るだろう。インターネットがなくならない限り。死んだ人のミームがインターネットをさまよい続け、誰かに影響を及ぼす。面白い。

でもインターネットもいつかはなくなる。想像しているより早くなくなるかもしれない。おれが生きている間に失くなるかもしれない。そういうものだ。基盤はみんなが思っているより全然ゆるい。

さらにいつか人類も地球もなくなってしまう。そのとき、そのあとまで、この宇宙ないし世界に、何か残せるだろうか? 何も残せない。形のあるものは残せない。内なる何かをどこかに留めらるかもしれないけれど、今の時代ではそれはないことになっている。どっちでもいいか。

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