EF LENS|EF50mm F1.4 USM を買ってしまいましたよ。

なんていうんだろう。この、こう、ね。明るいレンズに対する思い、といいますか、ですね。1.4 ですよ。EF シリーズで f1.4 で手が届くのは 50mm ぐらいしかないわけですよ。というか 50mm はさらに上の 1.2L さんがいるわけですよ。中古にいたっては f1.0 さんがいるわけですよ。1.0 はどうせ意味ないからどうでもいいですけど、ね。

このどきどき感。1.4 っていう明るさに対してのですね。萌え、みたいな。明るいレンズ萌え、みたいな、ね。いいですよね。

フルタイムマニュアルフォーカスね、いいですね。でもちょっと高いですね。1.8 が 10k きってるのに、 1.4 は……

1.8 で十分だ、って思ってるんです。頭ではわかってるんねすけど、後悔はしないと思います。

TAMRON の 90mm マクロや 28-75/2.8 と迷ったんですけど、やっぱり50 ですよ。たぶんズーム買ったら 50mm 付近でとらなくなってしまうと思うんです。それに望遠マクロは自分には早いです。スタック。自分はこう、あからさまな表現が好きなので、極端な画角を使ってしまうんですよね。でも 50mm 単眼だったら言い訳できないわけです。素直に、見たままの表現をしないといけない。自分がこれだって思ったのを、これだって思う形に納めないといけない。

写真表現は、難しいんですよね。誰でもシャッター切ったらそれなりの形になりますから、そこから何が自分の表現なのか?って自分自答が続くわけですよね。幸い自分には撮りたい形や撮りたい色や風景がありますから、その辺をどうやって実現するかにかかっているわけです。で、広角は欲しいし買おうと思ったんですけど (というか注文したけど届くのが一箇月以上あと) それは置いといても (必ず通る道なのだろうですよ) 標準画角っていうのは特別なんですよ。僕はカメラ自体よりも写真に興味を持ちたいと思う。技術よりのことを考えてしまうんですけど、それを排除したい。ずっとそれを考えていて、距離感が難しい。写真はずっと、いつでも撮れる状態ですよね。それこそ携帯カメラでもいい。なんでもいい。

よってる!!

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とらドラ 4 (4) を読みました。

だいぶ前に借りたのですが読んだら死にたくなるだろうなぁと思って読んでいませんでした。予想はあたり、1バイトの unsigned char がオーバーフローしてついでに100回ほど余計にカウントされるぐらい死にたい気分になったりしました。

正直にいうと予想した展開と違う方向なので微妙に驚いたりとかしまして、あれれー?みたいな。

なんで休みの日は時間が過ぎるのが早いんだろう。例えば曜日が体感で一つ抜けていたりするんだ。あー

最近見る夢は覚えていても言葉しにくく、夢であるがゆえに言葉にしづらい。眠い。ずっと寝ていたいと思う。時間がもったいない。

やろうとしてることがどれもこれも形にならない。


回りにモチベーションが高い人がいると気持ちいい。

彼らのやっているプログラミングは確かに難しいのかもしれないけれど、プログラミング自体は特段難しいものではない (というかピンキリ) わけだし、しかも「難しい」と言っているとホントにめちゃくちゃ難しいんじゃないかと思えてくるからあんまり「難しい」とか言ってほしくない。志気が明らかに下がるよほんと……

あんまり難しいっていうのは学生に対して失礼なんじゃないだろうか。

Creative Commons ライセンスを設定できるのはいいんだけど、クリックするまでどのライセンスだかわからないのよね (nd nc かどうかってすごく重要なのに)。ついでにどっから写真データだうんこするのかわからない。それはサービスの改善でどうにでもなる部分だからいいのだけれど、一番の問題はそういう気に入らないところとかあっても、usercss もきかないし userjs もきかない、完全に閉じているってことかなと思う。

それを上回る UI があればいい (つまり完全に要求を満たせていればいい) とは思うけど、難しいよなぁ (アップロードして使う人の他に、単に「見る人」がいるのだ)。他の人の「写真」を見たいのに、見たいものが直感的に見れないのはどうなんだろうと思う。コンテンツのプライオリティが低いよ。

まぁ usercss も userjs もヲタクしか使わないのかもしれない。それに写真を見るのは他人ではなく自分なのかもしれない。パブリックってのはおまけなのかもしれない。少し見れてしまうだけにもったいないと思うけれど、俺が勝手に思っているだけで、そこで公開してる人には他人に公開することなんてどうでもいいことなんだろう……

洗濯機というものは爽やかな白や、落ち着いた黒であるべき (少なくとも十分に普通であるべき) である。それがこのようなものになってしまうのは誠に腹立たしい限りであり、このような製品の輸入には断固反対である。

この洗濯機と渋谷でかつて流行っていた (今も存在するのだろうか) よくわからんメイクをしたギャルとでは何が違うのだろうか。個性を叫んだせいでかえって没個性になり、記号化されてしまう。

そして、こういった洗濯機からはまず女の子は出てこないであろう。悲しい。悲しい。


ほんとに全然関係ないけれど、批判するときに呼び捨てにするのってなんなんだろ。あれって損してるよなぁ。アレな人だと思って読まないよ。

まるごとJavaScript & Ajax ! Vol.1 に Greasemonkey の入門みたいなの (みたいなの?) を書かせてもらいました。

一応 GM のインストールからはじめて、なんちゃらかんちゃらというものです。


それはともかく、今日なぜか冷蔵庫に「まるごとバナナ」が入っていたのですが、これはもしかして僕のメールが母に監視されていたりするのでしょうか。まじこわいお><


本に何か書くのは初めてです。id:amachang や編集者さんありがとう><

50mm はいいんですけど、こう割とちょくちょく「もっと広角でとれたらなぁ」って思うことがあったりする、ので広角が欲しいのだけれど、どれぐらいの広角が欲しいのが自分でよくわからないので困る。

とりあえず 24-85 のズームかなぁと思っているけれど踏みだせず。

あと 50mm f/1.4 が欲しい。

ヘッドフォン買いまくってた割にレンズにやたら慎重だったりする謎

コンピュータリテラシ

大学は一応情報系なのだけど、そんな「情報系」なんて呼ぶことが可能であっても、コンピュータがよくわからないとか、インターネットとかよくわからないとか、フィードって何とか、そういう人はいるわけで、じゃあもしかして他の学部であったりしたら、普段コンピュータを使わないとか、そもそもコンピュータをもっていないとかも普通にあるのだろうなぁとか考えだすと、グレープフルーツをまるかじりして皮の苦さに顔をしかめたい気分になったりする日もあったり、なかったり。

それはどうでもいいのだけれど、インターネットでブログや日記を書いていない人たちが、言いたいことを言いたくなってしまったとき、それらをどこに吐きだしているのか日々疑問だったりする。


無断リンク禁止

無断リンクについてここ最近はやっていたらしくて、「はー」とか「ほー」とか思いつつ殆ど読んでいなかったのだけれど、結局、無断リンク禁止禁止派の人であっても、無断リンク禁止の気持ちはなんとなくわかっているんだろうなぁとか思う。しかしながら、無断リンク禁止がひろがった結果それが「普通」になってしまうといろいろ困ってしまう (何が、かは誰かが既に書いているだろう) からちゃんと言っとかないとね、みたいな。(自分はどちらかといえば無断リンク禁止禁止派です)

そういえば考えてたけどまとまらなかった。この流行ってた話は、実際には無断リンク云々はあんまり関係ないんじゃないかとか思ってる。

自分もこう、あんま必要以上にリンクが欲しくないけど公開にはしときたいとかいう場合はいくらかあるけれど、公開したいのに閲覧を制限したいとかいうアンビバレンスはもちろん矛盾しているわけで、結局どっちを優先するか、ってことなんだと思う。

公開して望まないことを受けいれるか、制限 (たとえば Basic 認証だけでもそれは十分達成可能だったりするから、技術的にはそんなに問題じゃない) して、予期しないを嬉しさを捨てるか (それはインターネットの「楽しさ」の多くを奪うだろうけど)、とかなんとか……

リンクしたい

必要以上に話題になりたくないとか、そういうなんらかの理由であんまりリンクはらないでください、と書いてあるなら、わざわざリンクをはりまくったりする必要はないかなぁと思う。(というかそれは無断リンク*禁止*ではないのでたぶんそもそも問題になってないとは思うけど)

それを上回る必要性や価値がそのリンク先のリソースにあるならなんて書いてあってもリンクするけど、結構悩む。リンクした結果リソースがなくなってしまうと本末転倒で困るからだ。 (ようは自分が困る)

必要性もないし、リンク先リソースに特に価値もないなら、無視しとけばいいと思う。

ノイズ

全うな批判とは別に、それに紛れて、「ただ叩きたい」と思っている人はいて、中にはそれをやたら表に出してアイデンティティにしている人がいる。そういう人にからまられるのは、いぢめと同じでターゲットにされたらもう終りであるから、事故だと思って耐えるしかない。反論の意味がないからだ。 (議論じゃないから) もしかしたら、他の人がその人のわるい部分をしっかり批判してくれるかもしれないけれど、ターゲットにされた人ができることはなにもない。

特になんてことない。洗濯機はいつも日常的だから、洗濯機は洗濯機であればいいのだ。

雨の日に洗濯機は動かない (もしどうしても必要であったらとか、乾燥機があったらとかだったら、動くかもしれない)。洗濯機の寂しさ。遠い日常があって、あるいはそれは日常的な女の子と似ているのかもしれない。明日になればいいんだ。でも明日が晴れるとは限らない。よくやまない雨はないと言われるけど、ストーリーはいつのまにか終ってしまうことがあって、そのとき降っていた雨はもうやまないのだ。

やっぱり黒い洗濯機がいい。

次の CD いつでるんだろう。


度々思うけど、ホントに Ruby と JS 以外は書けるレベルじゃないんだよなぁ……それにこの二つもマトモなのを書いたりできてないよなぁ……

全然だめだ。C は簡単なのはどうにかいけるけれど、API 呼んでどうこうするときは結局 Ruby ライブラリ化しちゃったりして逃げちゃう。Perl 書こうと思ったらいつのまにか Ruby 書いてたりする。うまくいかないなぁ。

あ、Brainfuck は書けるか。いやでも書けるっていっていいんだろうか……謎だ。

「触ったことある」ぐらいのレベルで止ってるのが多すぎる。


コンビニ行ってタブルコンソメとリプトンミルクティーを買ってこようと思います。

学校は必要なんだと思う。なんかどうしよもないものに抑えつけられている必要がいくらかあって、その役割が学校なんだと思う。だから、なんだかんだぐだぐだ文句がありつつも、学校とか教育なんて変らない。ぐだぐだ文句を言うために学校があるんだから、そうだよなぁ。問題意識を育てるためにあるのかもしれない。

楽しくて、幸せでありたいと思うと同時に、そうなってはいけないような意識を感じている。そこでは思考停止が幸せなのかなぁとも思う。幸せなときに、なんか創造的なことってできるんだろうか。欲張りならできるかもしれない。なってみないとわからない。でも何もしたくなくなる気がする。

全く逆のことも常に考えてる。それはこれまで、いつも書いてるようなやつ。たまにはいつもと逆のほうを肯定してみる。

みんなが今の世界や、社会を望んで生成してるとかそういうアレで、全部、既に思い通りだということを考えてる。でもあんまり自分はそれを信じてない。だって、高校生活はホントにつまらなかったんだ。結果的によかった、とか、あんまり意味がない。それこそ、なんのために生きているんだろう。辛いことやってれば幸せか? 過ぎたことはいい。


よくないことを書くかもしれない。

努力は報われるだなんて宗教がはびこってて、熱心に信じている人がいる。悪くないけど、そんなに頑張る必要って、あるんだろうか……努力とかいう、辛いことを積極的にやろうとすることができないで生きてる。勉強しないで高校に入って、勉強しないで大学に入った。

辛いことを、楽しいことに変換できる人が羨しい。楽しいことまでいかなくても、少なくともやる気になれるのが羨しい。呼吸をするように努力をして、その努力がまわりに認められる人は、すごく充実しているんだろうなぁ。

でも、努力しようとして上手く立ち回りかたを知らない人が中にはいて、そういう人たちは、努力をして、どうにかしようとはするんだけど、やればやるほど、うまくいかないのだ (多少、知識や技能はできるようにはなるだろうけれど、それが「努力」に見合わないのだ)。

「上手く努力できる才能」っていうのがあって、そういう人には努力しないでなんちょれ、という風にとらえてしまう。そして強い人や、偉い人は、だいたいそういう人だ。

幸い (?) なことに、自分は中間に位置していて (いつでも自分は普通の位置である)、努力する才能はないけれど、努力する気もなかったので、どうにかやっていけている。誰かが「努力」をしないで幸せになれることを、努力ができない人に、証明しなければならないと思う。だめだったら、それはたぶんそういうもんなんだと思う。あんまり深刻に考えているわけじゃない。最悪のケースのシナリオは絶対に裏切らない。

キチガイがわめいてるように見えるだろう。怒られるかもしれない。まぁ実際、夜中に奇声をあげたりとかよくあるわけで、なに考えてるかなんて、わかってもらえないんだろうと思う。


努力って言葉は便利だなぁと思う。「頑張れ」に似た便利さだなぁ。あたりまえか。努力しろっていうのと頑張れってのは同意だもんなぁ。

努力ってことにしておけば、あとから、辛いことをやってしまった自分を正当化できる。素晴しい言葉だなぁ。

僕は高校三年間努力して大学に入りました。どうしても原子周期表が覚えられなくて、補習をうけることになったりもしました。英語の単語テストで良い点数がとれたことはあまりありませんでしたが、一度だけ高得点をとったことがあり、そのときは先生に「やればできるじゃん」と言われ、嬉しかったです。でもそれからまた良い点数がとれたことはありません……

数学がどうしてもできなくて、文系に進路を変更しました。僕は小学校のころから理科が好きだったので、自分にはそういう道が向いていないと思いショックでした。でも文系の勉強は辛かったですが、頑張って本を読みました。それまであまり本を読むのは好きではありませんでしたが、頑張って読んでいるうち好きになり、今では自分で積極的に本を買うほどになりました。

とか。努力をしたとか頑張ったとかいう以外は嘘はついてない。

うーんでも、もうちょっと、言いたいことは、違う。もう寝よう。矛盾してるとか思うだろうけど、努力は全てむくわれるべきだと思ってるんだ。この場合の「努力」が、どういう意味を差しているかわからないけど


ながすぎ。もっと簡潔に書けよ。うざいなぁ。

自分の場合、寝るとき・食事をとるとき以外は殆ど PC の画面を見ている (といってもやってることはいろいろ) わけだけど、PC をあんまり使わない人ってその大部分の時間に何をしているんだろう。

パッと思いつくのは

  • テレビ

ぐらいしかない。でもこれだけで時間を潰せるわけないよなぁ。

でも逆に普段 PC をあんまり使わない人からしたら、ずっとディスプレイを見ているのは不思議に映るのかもしれない。うーん。

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新しい発見があるってのが解ってきた気がする。わかってなかったのかよ、って感じだけど……

しかしこうもっとこう、撮影者と被写体との距離感 (のバランス) を感じるのが撮りたい。


でもあんまり拘らないでやっていきたいと思う。色がどうこうとか、細かく考えると微妙にオカルトチックになってしまうのでおおざっぱにやりたい。特に色は Web で公開してるのがメインだから拘っても無駄だし

正しさは反論できないけど、納得できるかどうかは別の問題だと思う。だから表現。所詮論理なんて人を説得したり、理解させて納得させるための手段なのに、それが一番になって表現がないがしろになって、納得しにくくなったら意味がない。

数学の証明が、他人にわかるように書けばいいことに気付くまで時間がかかった。しかも解ったときには既に文系に進んでいて数学の授業がなかった。それまで自分は「コンピュータに理解させる証明」を書かないといけないと思っていた。でも証明に使うのは自然言語だから、そんな証明は書くことができない (コンピュータはそもそも「理解」がいまのところできない)。だから「とりあえずこう書けばいい」の組合せから抜けられなかった。

でもまだ、なんで自然言語で書かれた証明が「証明」になるのかよくわからない。みんなが考えている「論理的方法」が本当に同じものなのかわからない。頭悪くてどっちにしろ証明自体が楽しいと思えるようにはならないだろうからどうでもいいといえばどうでも、いい。


伝わったって感じることが大切だと思う。


関係ないけど、プッシュ型のメディアとプル型のメディアってちゃんと考えないといけないと思った。プッシュ型のメディアで大きいコンテンツを配信するのってちょっとどうなの……みたいな。「読まされる」とか「聞かされる」のって気持ち的にあんまり好ましくない。話の長くならないように気を付けないと……

「すいません先生! あとでじっくり考えたいのでブログに纏めておいてくれませんか? 今は作業を進めたいです!」