インターネットの先端部分はよく変わる。アイデアが生まれて消えたり、それに伴うサービスが生まれて消えたりする。技術もそうだ。逆に、そういう変わる部分をいくつか見ていけば、変わらないものを逆算することができる。

僕は主観的な世界しか信じていない。主観的に生きている。でも奥のほうで干渉があると思う。それって、最近気付いたことを考えていくと、まさにこの宇宙そのものであるから、ある意味では主観的な世界も客観的な世界も変わらないものなのかもしれない。

外側を見渡しても宇宙のごく一部がみえるだけ、内側を見れば全てを見渡せる。より近くにあるのは外側のほうだから、直接高速になにかを出すなら、外側から出そうとしたほうがいいけれど、より多くの可能性を考えて、渦をまくみたいになにかにまとめていって、っていうことをするなら、内側をみないといけない。外側は基本的に、刺激であって、それからまとめあげて仕上げるには内側を見ながらの処理だと思う。

でかいもの作ろうとして、結局よくわからん、誰も嬉しくないものを作るっていうのは、よくあることだから、最終的にそれに繋るだろう、っていうのを、一つ一つ確実にやっていかないといけない、って思う。

世の中全体の流れを、急激に変えることはできない。そういうだいそれたことは、絶対にできない。やっているようにみえる人は、たまたま流れの中心にいただけで、その人が重要なわけじゃない。時間が解決すること、時間でしか解決しないこと、は多くて、そういう意味で「人生中でこの夢は達成できないかもしれない」っていうのはあるはずだと思う。

それに、完全になにもかもを変えてしまうことは不可能だと思っている。例えば紀元前前の政治の格言なんかが、なんだって今の時代でも重宝されたりするんだろう? とかよく思う。変わらない部分はあって、そこを変えようとしても無駄なだけだ。悪人は個人に相対的なものだから、なくすことはできない。「この人とあわないな」は、どんだけコミュニティを縮小していっても必ず生まれる。

だから、特に変えていけそうな部分をみきわめないといけないし、そのために適切なステップをふんでいく必要があると思う。最初から全てをどうにかしようとは思わない。誰か一人でいい。

手を伸ばそうと思ったときに、すぐに掴めるものがあればいいと思う。インターネットはそれをどうにか可能にすると考えている。でもまだちゃんとスキームになってない。

考えない人が一定量必ず社会にいるように、考え続ける人が一定量必ず社会にいると思う。これはいつも個人の中でも境界がすごく曖昧で、スイッチひとつで、まわりからの衝撃ひとつで、きりかわってしまうと思う。(考えない人のほうが圧倒的に多いけど、生産性では均衡が保たれるような感じがする。)

考えない人の場はあってもいいし、たぶんそれは人がおおいだけ、もりあがるだろうけど、僕は作りたいと思わない。

だめっぽいなーって感じでやると確実にだめになる

[[やまぶき高校入りたい!]]

新しい学生証がきた。