でかいもの作ろうとして、結局よくわからん、誰も嬉しくないものを作るっていうのは、よくあることだから、最終的にそれに繋るだろう、っていうのを、一つ一つ確実にやっていかないといけない、って思う。

世の中全体の流れを、急激に変えることはできない。そういうだいそれたことは、絶対にできない。やっているようにみえる人は、たまたま流れの中心にいただけで、その人が重要なわけじゃない。時間が解決すること、時間でしか解決しないこと、は多くて、そういう意味で「人生中でこの夢は達成できないかもしれない」っていうのはあるはずだと思う。

それに、完全になにもかもを変えてしまうことは不可能だと思っている。例えば紀元前前の政治の格言なんかが、なんだって今の時代でも重宝されたりするんだろう? とかよく思う。変わらない部分はあって、そこを変えようとしても無駄なだけだ。悪人は個人に相対的なものだから、なくすことはできない。「この人とあわないな」は、どんだけコミュニティを縮小していっても必ず生まれる。

だから、特に変えていけそうな部分をみきわめないといけないし、そのために適切なステップをふんでいく必要があると思う。最初から全てをどうにかしようとは思わない。誰か一人でいい。

手を伸ばそうと思ったときに、すぐに掴めるものがあればいいと思う。インターネットはそれをどうにか可能にすると考えている。でもまだちゃんとスキームになってない。

考えない人が一定量必ず社会にいるように、考え続ける人が一定量必ず社会にいると思う。これはいつも個人の中でも境界がすごく曖昧で、スイッチひとつで、まわりからの衝撃ひとつで、きりかわってしまうと思う。(考えない人のほうが圧倒的に多いけど、生産性では均衡が保たれるような感じがする。)

考えない人の場はあってもいいし、たぶんそれは人がおおいだけ、もりあがるだろうけど、僕は作りたいと思わない。

だめっぽいなーって感じでやると確実にだめになる

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