✖
✖
✖
昨日の日記
- 代々木公園をうろうろ。ぼーっとしたり写真とったり
- 代々木公園はなんかおもしろいなぁ。台本?の読みあわせとかしてる人がいたり、なんかスケッチかなんかしてる集団っぽいのがいたり、普通に遊んでる人がいたり、パフォーマンスしてる人がいたり
- 昔やってたネトゲのオフ会
- なんか、ようするにネトゲのオフって基本的になんも意味がないってのが面白いと思った。僕は彼らのバックグランドを全く知らないし、僕はネトゲをもうやってないから共通の話題って殆どないんだけど、なんか適当に集って、遊んで、帰るっていう、不思議な感じだ。特に知りあいの知りあいとかになると、名前がわからないまま終わったりする。なんかわけわかんないよな
- 飲み会 (僕はジンジャエール) → ビリヤード
KAREN
タワレコ行って試聴したら買ってしまった……実店舗ってこわいなぁ……
✖
林や森の中で視点を固定すると、地上にいる気がしなくなる。どこか深い地中の中のどっかの空間にるように感じる。
呪いを外付けにする
✖
写真と料理は似てると思う。一目みて上手いって思うのは味が濃いものだ。でも心に残るのは素朴なものだ。
✖
KAREN を聞きながら寝ると Flapper のループでちょうど起きる。でもってあれは起きててもなんか夢みたいな感じになって、しばらくぼーっとする。
✖
途中で書くことをやめた文章だけを集めたサイトとかあってもいい。
tumblr・表現・外部化
今日なんとなくひらめいて、気付いたけど、tumblr のリブログって、なんか、まさに、って感じの機能だなぁ。
「何かを言いたいけど、それを表現する術を知らない」っていうフラストレーションを持った人はたくさんいて、そういう人たちは世の中から「表現方法を知らないお前なんか知らねーよ」っていう冷たい扱いを受けていたわけだけど、リブログは、他人の表現を借りて、並べることで、その並び自体が、表現になって、誰かにその輪郭を伝えられるようになるっていうことができるようになってる。強い表現にはならないけど、ないよりはいいよなぁ。
書いてたらなんか今さらその話かよって感じだけど、やっと今日直感できたというか、他の経路で頭の中にあった、どうしたらそれをできるのか? みたいなことと繋がって、どきどきした。
あとなんか思ったのは、ファッションと tumblr ってなんか似てんのかなぁと思った。ゼロからのじゃなくて、日常的なもの、どっかから、誰かを借りてきて表現を代弁させる。
そろそろ
誰かが名指しで殺しにくる気がする。だいたい波があるんだよなぁ……
咳
咳とまらん!
✖
なんかやっぱ人と会うときの感覚が麻痺ってるのかなー 一般的にすごいとされている人とかに会ってもなんか、すげーって思わないんだよなぁ…… 「すげー!」ってネットで先に思って会うと「すげげげー!」って思うんだけどなぁ……
ふぉとらいふ
スライドショーのときマウスうごかしてもクリックするまで操作ゲージでないのはいいなー
600px リサイズでアップロードだと一ヶ月 30MB ってまず超えないなぁ。
✖
私たちには、自身の行くべき最善の場所、行きたく思う美しい場所、自身を伸ばして行くべき場所、おぼろげながら判っている。よい生活を持ちたいと思っている。それこそ正しい希望、野心を持っている。頼れるだけの動かない信念をも持ちたいと、あせっている。
たくさんの人たちが集まったとき、どんなに自分は卑屈になることだろう。口に出したくも無いことを、気持と全然はなれたことを、嘘ついてペチャペチャやっている。そのほうが得だ、得だと思うからなのだ。いやなことだと思う。早く道徳が一変するときが来ればよいと思う。そうすると、こんな卑屈さも、また自分のためでなく、人の思惑のために毎日をポタポタ生活することも無くなるだろう。