過ぎてしまえば、どれだけの嫌な思いをしたとしても、そのうちに忘れてしまう。そして同じような他の人の気持ちがわからなくなる。言葉を使おう。記録を残して、感情を再現する。再読されない日記に意味はないのだと思う。ブログは古くなるが、日記は古くならない。誰かに継続しているからだ。

< cho45> はぁおんなのこに目隠しされて
< cho45> 「だぁれだっ?」ってやられたい

いやまじでヘタに説明されるより「これのコード見ろ」のほうが断然嬉しい。

5月にやることが多い……

人間ごっこってのは、孤独を強くするゲームのことです。

なんなんだろ。なにもかもへのやる気、みたいなのが、一切消えてしまう日だった。キーボードさえ重い。

繋りがあんまりないような夢を3つぐらい見たという記憶がある。どれも思い出せない。

ちょっと前に見たんだけど、ほんとすごいなぁって感じだ。面白いとしかいいようがない。恋愛モノかと思ってたけど違うんだなぁ。

めちゃくちゃ腹が立つんだけど、方向がない。思い出し憤り

  1. 代々木公園をうろうろ。ぼーっとしたり写真とったり
    1. 代々木公園はなんかおもしろいなぁ。台本?の読みあわせとかしてる人がいたり、なんかスケッチかなんかしてる集団っぽいのがいたり、普通に遊んでる人がいたり、パフォーマンスしてる人がいたり
  2. 昔やってたネトゲのオフ会
    1. なんか、ようするにネトゲのオフって基本的になんも意味がないってのが面白いと思った。僕は彼らのバックグランドを全く知らないし、僕はネトゲをもうやってないから共通の話題って殆どないんだけど、なんか適当に集って、遊んで、帰るっていう、不思議な感じだ。特に知りあいの知りあいとかになると、名前がわからないまま終わったりする。なんかわけわかんないよな
    2. 飲み会 (僕はジンジャエール) → ビリヤード

タワレコ行って試聴したら買ってしまった……実店舗ってこわいなぁ……

林や森の中で視点を固定すると、地上にいる気がしなくなる。どこか深い地中の中のどっかの空間にるように感じる。

写真と料理は似てると思う。一目みて上手いって思うのは味が濃いものだ。でも心に残るのは素朴なものだ。

KAREN を聞きながら寝ると Flapper のループでちょうど起きる。でもってあれは起きててもなんか夢みたいな感じになって、しばらくぼーっとする。

途中で書くことをやめた文章だけを集めたサイトとかあってもいい。

今日なんとなくひらめいて、気付いたけど、tumblr のリブログって、なんか、まさに、って感じの機能だなぁ。

「何かを言いたいけど、それを表現する術を知らない」っていうフラストレーションを持った人はたくさんいて、そういう人たちは世の中から「表現方法を知らないお前なんか知らねーよ」っていう冷たい扱いを受けていたわけだけど、リブログは、他人の表現を借りて、並べることで、その並び自体が、表現になって、誰かにその輪郭を伝えられるようになるっていうことができるようになってる。強い表現にはならないけど、ないよりはいいよなぁ。

書いてたらなんか今さらその話かよって感じだけど、やっと今日直感できたというか、他の経路で頭の中にあった、どうしたらそれをできるのか? みたいなことと繋がって、どきどきした。

あとなんか思ったのは、ファッションと tumblr ってなんか似てんのかなぁと思った。ゼロからのじゃなくて、日常的なもの、どっかから、誰かを借りてきて表現を代弁させる。

誰かが名指しで殺しにくる気がする。だいたい波があるんだよなぁ……

なんかやっぱ人と会うときの感覚が麻痺ってるのかなー 一般的にすごいとされている人とかに会ってもなんか、すげーって思わないんだよなぁ…… 「すげー!」ってネットで先に思って会うと「すげげげー!」って思うんだけどなぁ……

スライドショーのときマウスうごかしてもクリックするまで操作ゲージでないのはいいなー

600px リサイズでアップロードだと一ヶ月 30MB ってまず超えないなぁ。

私たちには、自身の行くべき最善の場所、行きたく思う美しい場所、自身を伸ばして行くべき場所、おぼろげながら判っている。よい生活を持ちたいと思っている。それこそ正しい希望、野心を持っている。頼れるだけの動かない信念をも持ちたいと、あせっている。

たくさんの人たちが集まったとき、どんなに自分は卑屈になることだろう。口に出したくも無いことを、気持と全然はなれたことを、嘘ついてペチャペチャやっている。そのほうが得だ、得だと思うからなのだ。いやなことだと思う。早く道徳が一変するときが来ればよいと思う。そうすると、こんな卑屈さも、また自分のためでなく、人の思惑のために毎日をポタポタ生活することも無くなるだろう。

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lb もそうだと思うんだけど、流行ってきたから嫌、っていうのはすげー気持ち悪いなー

リーダーを誰かに望んでいる。ヒーローを誰かに望んでいる。でも自分でリーダーやヒーローにはなりたくない。脇役になってちょこっとおいしいところを持っていければいいと思っている。自分だってそうだろう。

時々言葉の影響力を全く計れない。「これはまずい」って直感的に感じることはあるけれど、それが正しいか自信がもてない。非公開の場に何か書くことに慣れるのはまずい。やめよう。

なんかすごくむかつくけど、何を書いたらいいかわからない。無駄だと思う。でもどうにかしたい人達がいる。おれはどうやったんだっけ?

たまに忘れそうになるような生活をしているけど、世の中には圧倒的に嫌な人、合わない人のほうが多くて、これは疑いようのない事実だから、忘れるようなことがあってはいけない…… 近付いてこなければいいのに、って思ったとしても、それは彼らにとっては違う。嫌いだからとかじゃなくて、なんとなくで殺そうとして近付いてくるのだ。

低ビットレートエンコしてノイズ入れて大音量で聴くと気分がとてもいいですね。あとこの曲の PV の後半はなにがなんだかわからないけど腹の底が強く圧縮される感覚があって素敵だと思う。ピロウズまじでかっこいいなぁ。

コーディングルールについて、僕はかなり神経質に考えている。プロジェクト全体の一貫性のなさが一番の悪だと思うからだ。そういうものは全く美しくない。汚いコードが、プログラミングをはじめたときから一貫して嫌いだ。コードだけじゃない。GUI のデザイン、特に昔よくあった、何故かボタンとかに無駄に色をつけて Windows の標準 UI を逸脱するようなものとか、そういうのがめちゃくちゃ嫌いだ。

僕はコーディングルールを定めて (というか書いてたら勝手に定まるものだけど)、書きくだしてる。でもそれはいつも守っているとは限らない。もっといい方法をいつも探している。より強い一貫性を探している。読みやすさと、一貫性が最重要なルールなので、それを守っていればそれより下のルールは変えていける。逆に、他人のコードを編集するときは周りのコードからルールをできるだけつかんで、自分が好まなくてもそっちのルールにあわせる。一貫性がなくなるのが嫌だからだ。

とにかく一番嫌なのは、一貫性がないこと、汚いこと。ルールを他人に決めてもらって、その範囲で「できるならなんでもやっていい」は間違っていると思う。

何のためか、誰のためかを忘れないようにするのが重要だと思う。僕は未来の自分が読みやすいようにコードを書いてるから (すなわちそれは、今の自分よりもスキルがある誰かを想定してる)、そのためのコーディングルールを持ってる。

目的を円滑に遂行するために作ったルールなのだから、ルールを守ることを目的にしてはいけない。ただそれだけだ。ルールを作らなくていいという意味じゃない。

コードを読むときは、読めないコードが出てきたときに、読めないことを恥じ、コードを書くときは、読めないコードを書かないようにし、読めないコードを書いてしまったときにはそれを恥じる。そういうバランスが、御互いに必要っていう、あたりまえのことだ。そこにコストを感じすぎるなら、たぶん一緒にやる相手を間違ってる。