賑やかな孤独が最も恐しい

モノサシを別のものにしてみると、自分全く変わってなくて凹むなー……

自分ものすごい臆病なので、それによって慎重に、あるいは保守的になるのだけれども、そうしてばかりではいられないこともあるので、何かここにもスイッチが必要そうだと思いました。しかしどこにあるのかわからない。

すっと体に入ってきて、大変温かい気持ちになることがあって、それが内的に生まれてくるなら幸せは永く続くのだろうけれど、外的なので、そう上手くはいかない。また、ただ温かい気持ちになるだけでは、別に何か生まれてくるわけではないなと思ってしまって、それはそれで、辛いので、それだけがあっても、幸せにはならないのだなあと、しっくりと思ったのでした。

生産することは例に漏れず辛さも伴うものですが、一方で強いモチベーションを持ってそれを克服できているときこそ、より強い幸福感があるなあと、まぁ普通に考えて、あたりまえにことにあたりまえに気付いただけですが、その強いモチベーションを発火させるためのスキームが決まっていなくて、これは本当、早々にどうにかしたいのです。

そういう意味では、自分は、幸せを感じるということよりもさらに重要視していることがあるのだということに気付きました。

あらゆる収差がなくて、カメラという機械が無限の解像度を持つなら、望遠レンズは当然いりません……

やる気がでるとき、というのをちゃんと分析してみることが必要。

コードを書くことに関して

  • 問題が細部まで分解できていて、実現可能な道筋が全て示されている
    • これは大変に難しい
  • (自分も含めた) 誰かが喜ぶことが確定している
    • 自分が喜ぶ、というのは簡単に確定させることができる
    • 他人が喜ぶ、というのは殆ど確定できない
  • 技術的に面白い
    • つまり、スキルが向上すると、ある問題へのやる気はでにくくなる

どれもこれも実際にそうであるかよりは、そう信じられるか、という話なので、単に信仰の話である。

遠くの人と他愛もない(ないしは切実な)話をできるという点で、インターネットは本当にすごい力があるなと思いますけれども、やはりそれをしていると、眼と眼をあわせて同じ空間の中でコミュニケーションをとることの強い力をいつもどうしても感じられずにはいられないです。

やはり、メールでも電話でもテレビ電話でもだめで、同じ空間にいる必要があると思います。

ずっとこう思っていたわけではなくて、かつては対面じゃなくてもいいだろと思ってましたけど、ここ数年でこのことは強く実感するようになりました。