抹茶オレを飲んでいたら、近くの人がツボにハマること (治験って死ぬんじゃないですか?) を言って、漫画ばりに吹いてしまった。しかし吹いただけでおわればよかったものの、なぜか胃の中身が逆流して大変なことになった。抹茶オレで吐くとかやばい……

YAPC に今年も行って喋ったけれども、今回は早く喋りすぎたのがよくなかった。それはともかく、いろいろ久しぶりに面白いことを面白い人達を話せてよかった。割と最近、精神的に余裕がないので、個人的には完全にふりきって楽しめなかったのはもったいなかった。

行くたびに思うけれど、この規模の運営が大変なのはあきらかだし、スタッフのみなさんには全く頭があがらない。せめておもしろいコンテンツを提供したいので、もっといろいろ普段から面白いことをしておきたい。

時間というのは決してとりもどせないものだ。どんな人間だって時間を経れば死ぬ。ときどき「生まれたときから何かを失いながら生きているのかもしれない」とか言う人がいるけれど、その失なっているものというのは時間だ、と僕は思う。時間を消費して何かを得る。何もしなければ時間を失う。何かを得たとしても、時間は二度と戻ってこない。失なった時間よりも価値のあるものを得られなければ、本当にただ死ぬためだけに生きていることになってしまう。

四六時中考えていられること、例えばプログラマであればプログラミングのこと、デザイナであればデザインのこと、それぞれがそれぞれの貴重な時間をかけている。貴重な時間をかけて考えられたことについて、そこまで時間をかけていない人が言えることは何もない。真剣に時間をかけて考えられたことというのは、その人の、生の一部であるから、それをないがしろにするということは、部分的に殺人をしていることと一緒だ。

WEB+DB PRESS 総集編 [Vol.1~60] - 森田 創

森田 創

3.0 / 5.0

来週発売の WEB+DB PRESS 総集編 にエッセイを寄稿させて頂きました。内容的にはすごく個人的な話中心ですが、読んでもらってインターネットで情報発信をするのは面白そうだとか、エンジニアリングが面白そうだとか、クズでもどうにか生きていけるんだとか、何かしら思って頂けると嬉しいです。

僕以外の人の名前を見ると、この中に並ぶのがすごく恥かしいのですが、まだ成功していない人間の立場で (「Topエンジニアが」と書いてあるけど、自分はそうなれていないので、そうなるためにどうするかを) 書いたつもりです。

ちなみに僕は森田さんのエッセイを読むのが特に楽しみです。

高校生のときなんかは「世の中の人は『責任』にどう耐えているのだろう」とよく思っていた。あらゆる「責任」に自分は耐えられる気がしていなかったので、責任を負って対価を得ること、つまり仕事ができないと思っていた。なので一切のアルバイトもしたくなかったし、想像されるような「責任」に耐えて仕事をしている自分を想像することができなかった。

今思うと、当時の自分は「責任」を無限にあるものだ、と無意識に考えていた節があり、そのために過度の責任を想像しすぎていた。「責任の量」という考えかたがなかった。実際の仕事では、アルバイトにはアルバイトの責任の範囲があるし、社員なら役目に応じた責任の範囲がある。当たり前のことを知らなかった。

「果たすべき責任には上限がある」という気付き (大学生以降、働きながら気付いた) は、多少仕事に対して楽観的になれるきっかけになった。ずっと気付けてなかったら今ごろ死んでいると思う。

全然更新してないが普通に生きている。この日記書いてない期間というのは、自分の場合

  • 何も考えてない
  • 考えているけど公開で書けない
  • 考えているふりしかしていない

のうちのどれかで、今回のこの期間については「考えているふりしかしていない」が当てはまると考える。

いろいろ不安やら考えごとはあるものの、日記に落とす前に寝てしまっている。しかし文章に起こせなかった考えはなかったも同然だ。「昨日はたくさん考えたな」と自分で思ってはいても、実際のところ頭の中は整理されておらず、ループする思考の波に身をまかせているだけになってしまっている。

文章に限らないけれど、何もアウトプットせずに「考えている」だけというのは「考えているふりしかしていない」ことと同じだ。

久しぶりに南禅寺に行ったら、いつもは拝観を受け付けていない大寧軒という庭園が見られるようになっていた。三柱鳥居があるということで、それに期待を持って入ってみた。

三柱鳥居は木嶋坐天照御魂神社にあるのを何度か見にいっていて、形がかっこいいので気に入ってる。京都だとその神社の元糺の森にしかないと思い込んでいたのだけれど、今回行った大寧軒にも確かに小さいものの一基あった。元糺の森は水が沸きでるところに立っているけど、こっちもそうらしい。

高校生か、大学生ぐらいのときは、プログラムを書くときの長期的な目標として「作りたいものを作れるようになる」というのがあったことを思い出した。

今それはある程度できるようになったけれど、ただできるようになったと言っても、自分のフィールドに強引にひっぱってくる力がついたり、他人の成果 (ライブラリなど) を探しだす能力が多少ついただけで、プログラミングそのもののスキルはそんなに向上していないように思える。

「プログラミングそのもののスキル」というのは「アルゴリズム」「設計」「実装」にわけられると思うけど (もっとあるかもしれない)、特にアルゴリズム関係の力はほとんど成長していない。設計力と実装力は今の会社に入ってから特に重点的に考えていることだから、多少できるようになっていると思うけれど (できるようになっていないと困る)、それもまだまだやっぱり経験の不足は否めない。

それはともかく「作りたいものを作れるようになる」は今も良い目標だと思っていて、これはちょうど、馬が目の前のにんじんを食べたくて走るように、自分がすすめばすすむほど「作りたいもの」は遠くにいって、ずっと成長の指標になる気がしている。目標を立てた当初、自分が「作りたいもの」はブログシステムだったけれど、これは思うように作れるようになってきている。今作りたいものは、たくさんの人がストレスなく楽しく使えるサービスであるので、また遠くに餌がいってしまっている。

「ちょっと思いついたから実装書いてみるわ」みたいなノリでさっさと作りあげてしまう、というのに憧れている。