そろそろ飽きたというか黒時に白とか読みにくすぎてだるいので変えたい。

とか思ってごたごた作り始めたのだけどホントにグラフィックデザインできなくて泣きそうだ。っていうかクロノクロス(借りた)やばい泣く。

flickr CC 眺めながらコラージュするかなぁ……


テーマが決まらない。というか学校の課題用のページ作るのが先だろ……常識的に考えて……

はいはい。


なんかすっごい昔の日記にコメントがあってびびった。メールで通知させる部分作っといて良かった。

今の日記にもコメント機能が欲しいのでつけたいのだけれど、なかなか Perl 書く気にならない。ウェブサービス経由するにあたりそのへんの CGI も作らないといけない。セッションのストア方法が Ruby と Perl で統一できていたら楽なのになぁ。

ちょっと Taglibro に戻ろうかとか考えたけど XML 書くのはだるすぎた……

全部サイト構造をリセットしたいなぁ。何かいい方法ないだろうか。

やっぱりいろいろうまくいかないなぁ。自分の感情のコントロールがどうとか、環境がどうとか、自分でよくわかってない。

先入観/偏見/ステレオタイプを捨ててモノゴトを見るのが難しい。とりあえず身近なものを視点を変えて見たい。いつから言ってるんだよこれ。ちょっとできるようなったんだろうか。誰に訊いてるんだか。

俺が書いてもいいことなのかわからないことがたくさんある。勉強しとけばそうはならないだろう、な。口に出していいことなのかわからない。既に周知のことなのかわからない。「こいつバカだな」と言われることをいまだに?みたいな。今更なくせして

表現は誰のためにでもあるわけじゃなくて、受け取れる人と受け取れない人がいて、しかも受け取れる人でもみんな感じてることが違う。表現者の孤独をよく考える。


できる限りの事を公開していく。もっとアウトプット。今まで生きてきてインプットしたことをどんどん処理してアウトプットしないといけない。情報処理する


余計なことがまだまだ多すぎる。インプットするだけしていらないものは消すべき。いらなくても参照があるせいで GC できないものがある。


そのやりたいことが「やるべきこと」になったときの詰まらなさが解らない人もいる。全く形が違う。インターフェイスが似ていても実装が全く異なる場合がある。僕から見たらエイリアン。相手から見ると俺がエイリアン。一人称の不一致


ねぇ、だから、言葉が通じないと疲れるんだ……何を話していいか、わからない。ふとした瞬間に出るワードが通じない。笑えない。笑えない。相手も同じに感じている。関わらないのが幸せ。

普段どう生きるか。とか、何度も考えたろ。知らない。わからない。


どんどん力が抜けていく。グルーヴが羨ましい。中に入りたい。良い物が作りたい。レベル15までこの先に進めません。

お前が俺に頭がおかしいとか言うけど、だからなんなんだ。なりたくてなった?

距離感をつかむことが必要。距離あるじゃん。わかってるくせに。


今年第一回の「お客さん、終点ですよ」がありました。すいません。本厚木終点だと確率高い。

他人の日記を読むのが好きだ。

時々すごく面白い日記があるのを発見すると本当に嬉しい。でもその日記が他の日記とどう違うかがよくわからない。でも面白い。本当に

そういう(自分にとって)明らかに面白い日記ではなくても、他の人の考えていることや、他の人のしていることを読むのは楽しい。

だから、もっとみんな日記やらブログやらを書いて欲しいといつも思う。


タイトルを「あなたの日記のおかげで僕は幸せになれる」にしようと思いつつ書きはじめたけどキモすぎっていうか宗教っぽいのでやめた。


次に「君の日記のおかげで今日が楽しい」を思いついたけど同じ理由でやめた。

結局ストレートに、好きって気持ちを出した方がいいんじゃないかな、って思ってこのタイトルさ。


キモイんだよ1!!

数学や芸術家や哲学、そういうので有名な人物の話を聴いたり Wikipedia で読んだりするとなんかすごいこみ上げてくるものがあるというかなんというか。殆どみんなずっとずっと昔に死んでしまっているのに、今でもまだその人がどんな人だったか、みたいなことを考えている人がいて、誰かがそのことを伝えていて、これってものすごく気が遠くてすごいことだなぁと思う。

でもって、それと同時に、そういった「有名な」人に隠れて生きた脇役やエキストラがいて、その中にはクレジットにさえ入っていない人がいっぱい居て、みたいなことを考えると、そういったクレジットにのってない「つまらない普通の人」とされる人の話を聴きたくなる。よくわからんほどの人が今まで死んでるのに、名前なんて殆ど残りはしない。もしかしたらそういった人のミームは名前無しに伝わっているのかもしれないけれど。


それとは逆に、コンピュータ関連の偉大な人はまだまだ生きている人がいっぱいいる。C言語の開発者だって生きてる。生きているから、もしかしたら会えるかもしれない。会って話ができるかもしれない。そう考えるとドキドキする。「昔の人」じゃないから、そういう流れから入るコンピュータの歴史は結構面白い。友達の(失礼な)昔話を聴いてるみたい。

インターネットで数年ごたごたやってるうちに、すごい遠いなぁと思ってた人と会って話すことができたりして面白い。いやだって、こんなわくわくすることがあるだろうか?