ねむれないのは、明日がくるのが嫌だからだ。今寝て、明日目を覚ますと、起動しない Windows 機と、先行き不透明な仕事 (先が見えない……うまく文章書けないし、何がわからないのか。結局俺には全然わからないし……) とがっつり向きあわないといけないし、まぁそれは好きでやってることだから仕方ないんだけど、そういう好きでやってることを、集中できなくて、うまくいかないのは、嫌なもん、なんですよ。はいはい。
もっとこう、心臓をとりだして見せるぐらいに、ごちゃごちゃと、腹にあるものを文章にしていきたいものだ。本来、好きとか嫌いとかっていうのは、いつも一緒にあるものなのだから、どっちも表に出てこないといけないんだ。例えば俺はインターネット大好きだけど、まったくの理想的な世界を想像するとき、そこにはインターネットなんてないし、むしろ邪魔なものとして想像する。インターネットなんてやってるやつらはみんなそうじてクソでバカだ。でもおれはそういうのが好きなんだよなぁ。ずっとインターネットのことを怖いものだって思ってる。今だってそうだ。おれのことなんて調べたらすぐにわかってしまうだろうし、一言余計なことを書くだけで、たった一言書くだけで、叩かれることになり、いろいろな関係を失なう。こわすぎる。そしていつも、インターネットが十数年後ないし数年後にはあとかたもなく無くなってしまうことをよく考える。こんな脆弱で、無断リンクがどうとか低レベルなことを論じているインフラなんてなくなってしまえとすら、少し思ってる。
おれはうまく言葉を選べなくて、苦労していて、してきた。だけど、うまく言葉を選べなくても、選ぼうとすることが大事なんだろうって思って、そうやってきたし、それでうまくいってた。でもなんだろう、ちょっと違う気もする。いやでも、うまくやってきたのだから、これからもそうするほうがいいはずだ。ベイズ先生もそう言うと思う。
あ、なんかそう、今日友達の家にいって (友達の家に片道1時間かけていって、やってたことがひだまりスケッチを読むことだけっていうのは、少々あれだが)、かえってくるとき、また考えていたけど、アーティストって、根底の部分は、すごく常識的だと思う。だってそうしないと、他の人に受けいれられたりしない。表現の部分だけが狂ってて、たぶんそれは、アーティストってよばれる人達が、狂おうとしているから、狂ったようにみえるだけだと思った。というか、そんなのあたりまえのことだよな。ほんとに狂ってたら、檻に入れられるだろうし、常識的に狂えるとか、はげしくむずかしいからな。
一個、よくないことがあると、連鎖的に、よくないことが想像されて、「あぁおれぜんぜんついてないな」って思う。なにもうまくいってないなって。他人からしたら、ぜんぜんうまくいってるじゃん、まだなんかやってるだけましじゃん、みたいに見えたりすることもあるのだろうけど、じっさいのところなんて、本人にしかわからない。本人が幸せを感じていないのに、誰かが「お前は幸せだ」なんて言ったら、みんな不幸になるね。不幸比べなんて意味がない。基準が違うからだ。
人間、急に変化することなんて、大きなイベントがない限りできない。「何かあったの」って訊かれたときに、「いやべつに、本当に何もない」とは言えない。たとえ、訊かれなくても。他人から「あぁこれが切っ掛けなのね」っていう、記号的な何かがないと、だめだ。でも、そういうのがなくても変われる人もいる。天才ってやつだな。気分が変わったかい。そうかい。
でもやっぱり、言葉は選ばないとだめだ。ただ、わざと誤読するようなやつのために、表現を変えたりする必要はないはずだ。悪意をつけないような、ずっと守ってしかいない言葉なんて、政治家だけが使っていればいい。でもおれ、怒られたくない……怒られないようにやるべきことをやらなきゃいけないけど、うまくいかない。どうしよう。怒られることにびくびくしている。弱いやつだとか、例えば、この日記の URL をどっかのスレにはっつけて、「マジキモイわwwwww」とか書くのは簡単だな。めちゃくちゃ簡単だ。それだけで、おれは、その正しさに凹まないといけないし、どうしたって、みないふりをしたって、見てしまったら、しばらくそのことを考えてしまうだろう。その程度で、とかな。ガキだ、とか、甘えだ、とか、開きなおりだ、つまんね、なにこのナルシスト、自分に酔ってるだけだろ、とか、だいたい、なんだってあてはまる。別のこの日記だけじゃないな。俺が、めちゃくちゃ一人の人間についてムカついたら、そういう方法をとるよねって話だ。論理的にいう必要なんて全くない。単にあいてを凹ませるだけなら、めちゃくちゃ簡単だ。もっと簡単に、コメント欄に、「まじきもいわ」なんて書くだけで、それを書きこむに至ったなにかは解消されてしまうだろう。スルー力ない人を凹ますのなんて、アルミ缶つぶすより力がいらない。やだやだ。
むかつく。おれがばかなんてことは、だれかにわざわざ言われるまでもなく、わかっていることだ。何年このばかと付き合っていると思ってんだ……おれの彼女がいないなんて、おれがばかで、ふがいなくて、たよれない、おれがたよられようとしないからだろう。おれが何か約束をしたら、それは絶対守らないといけないことだ。「きみのこと一生幸せにする」みたいなことは、おれには絶対言えないことだね。絶対無理だ。途中でへこたれるにきまっているからな。努力もしないで、とかいうやつがいるが、努力ができるなら、ごちゃごちゃなんかいったり、しないんだよ。努力できるやつは黙ってろよ……
それでもだよ。こういうくそみたいなおれのなかでも、最低限やるべきレベルみたいなのがあって、まぁ普通の人からしたらめちゃくちゃ低いレベルなんだけど、あるいは分野によっては普通の人より高いかもしれないけど、例えば、「宿題」なんかは確実に普通の人より最低限のやるべきレベルが低い。でも HTML, CSS, プログラムだと、普通の基準がよくわからないのはいいとして、最低限こうあるべき、っていうのはもっと強く高くて、尊敬する人の話を、いやそれは本当なのかって疑えるぐらいには、レベルを高く設定してる。こういうのを書くと、もっと高くレベル設定している人から「じゃあなんであれはクオリティひくいの」ってなるから、嫌で、逃げに走って、書かないんだけど、でも少くとも、おれの頭の中ではそういうのはある。こういうのは本来、言葉を選ぶならば、おれが書いちゃいけないことだ。なぜなら結果を出していないからだ。
一個何かやろうとしたとき、そういう最低限のレベル設定は必ず発生する。洗濯機から~の似非ポスターのときは、最低限、ぱっと見で実際ありそうなポスターにしようということを頭に入れて、そのために、ネットでポスターをさがして、近くにあった写真展のパンフを見て、デザインの本のレイアウトを見て、パクりにパクって、それっぽいものを、最低限これならぎりぎり見えるだろう、っていうのを作ろうとして、最低限そうなっているものを作った。でも最良じゃない。おれの中から経験的に生みだされた何かがあるわけじゃないからな。いや多少はあるだろうけど、別にあれ見ても、心に残らないでしょ。すげーって思わないじゃん。そういうことなんだよ。
仕事になるとそのレベル設定がもっと複雑になる。なぜなら、金を払う人が、俺の「最低限のレベル」に納得するとは限らないからだ。だからずっと不安になる。義務を感じて、かえってわけわからなくなって、どうしようもなくなる。でもそれは仕方ないことだ、とこの社会は言うだろう。おれもそう思ってる。仕方ないことだ、っていうのはだめなんだけど、でもそれは、経験的に、そうってことになってる。洗脳されているのかもしれないがそうなんだよ。おれは天才じゃなくて凡人だから、なんかつくって、それが売れたりはしない。義務が発生する。「相手」が納得するものを作らないといけない。できないときどうすりゃいいんだ。「できません」っていうしかないよな。約束を守れなくなるだろう。それはいろいろ失うね。「なにができますか?」「どれぐらいもとめているかによります。いちばん安全な言いかたをすると、なにもできません」
なんでもいいんだよ俺は寝たい。さっき書いたことはもう忘れた。夢の中でぼーっとしたい。もっと夢を見たい。現実の夢なんかじゃない。