自分の成長の遅さについてダラダラ書きまくったけれど消した。僕はそれでも生きていきたいと現時点では思っているし、そういうことは (生涯の) 目標であることを今どこかで潰してしまうかもしれないからだ。

もし今の僕が肉体的に死んで、今このことを考えている僕が死んだとしても、どこかで生まれた誰かが、この日記、あるいは他の、僕の残したリソースを読み、「これは僕が書いたのではないか?」と思うならば、それはまた、新しい僕なんじゃないだろうか。

そう考えると、一日一日の、あらゆること、一切合切、本当になにからなにまでをデジタルな記録として残し、コピーを容易にし、拡散可能にしておくことで、今は「誰か」である「僕」に伝える、というのはわくわくすることだと思えてくる。ただし、この世の中は、意識できる記憶でさえ、クソみたいな制限がたくさんあって、なにからなにまで書くことは難しいし、意識できない記憶については記録に残しようがない。


ただ、どこかの「僕」に、僕であることを知らせるならば、なにもかもを記録する必要はなく、むしろ、必要最低限な情報だけでいいとは思う。現在の僕の延長にある未来の僕にしても、別の「僕」にしても、そんなに必要なことは変わらず、常に「僕は僕であった」ということだけだ。

ジンジャエールで酔う練習をします。

情報がたぶん一番偉いというか、全ては情報によって操られている感じがする。DNA は、その代表。僕がいつも想像する、みんなに共通する無意識の奥のほうの部分、集合的無意識っていうのかな、ちゃんと理解していないけれど、は、いつも宇宙のようにイメージされる。このイメージもまた、集合的無意識から、拾いあげられたものだろうから、たぶんそういうものなんだ。宇宙自身が、情報で、それはいつも近くにある (僕らもまた、宇宙の内に含まれた情報で、DNA もそうだ)。考えるとき、アイデアを拾いあげるとき、宇宙へクエリを投げている。


そうだとして、情報を処理する、というのは、情報を支配することに繋る。自分自身を操るための、情報処理。情報処理は、実際のところ人間だけの特権ではなく、動物だろうが、植物だろうか、やってる (生殖はわかりやすい情報処理の例だろうし、あらゆる生産/変化は宇宙が情報でできているなら、惑星の動きとか、雲の動きとかもそうで、自然/宇宙自体も情報処理をしている)。プログラミングは、人間による、DNA での (人間にとっては) 長いスパンの情報処理ではなく、もっと高速に宇宙を発見して、自己解析をするための手段のように感じられる。


あ、そうか、無意識の奥の情報・宇宙は、どこか遠くにあるのではなくて、まさにいま、自分達が生きているここにある、と考えると、それがどこにあるかってことをイメージする必要はなくなる。