全く知らない土地を歩くのは不思議で、決して知らない風景について懐しさを覚えるのもそのうちであるけれども、それよりは、人がそこに住んでいて、おそらく自分とは違う生活の方法をとっていることを思うと、もはや想像できる範囲を超えてしまう不思議さになる。

そしてその土地がそんなに都会でないとなると、ごく小さいころは田舎に住んでいたことを思い出し、そこから動かずに今の年齢まで育っていたらどう生活していただろうと考えてしまう。

marble の旋律の行方、桜夢見月というCDがタワレコ新宿限定品になっていて残念すぎる…… 次実家帰ったときにいってみるかな

何を言っても無駄であるから、何も言わないのであって、どうでもいいわけではない。ジュウロクだかジュウハチだか過ぎた人間には、もはや外から直接的に何かを言っても無駄なのだ。だからそういう人に僕は反応を一切期待しないし、既にある何らかの明確に形になっているもの以外、意図的に考えないように最大の努力を払っている。裏をかえせば、自分がそうであるというだけで、あるときにふと大抵の人が本人の思惑や欲求のためだけに他人に何かをいっているのということが腑に落ちて、それからは一切他人の言うようなことを話半分で聞くようになったというだけだ。

観察するまでもなく、大抵の場合、ある人が自分を見下しているかどうかなんてのは、喋りかたでわかるものだし、喋らずとも言葉を使っている限りは、そう時間もかからずに分かるものだ。観察するまでもなく、というより、他人を見下すように生きている人のほうが多いのだから、とりあえずそのように考えておけばまず間違えたりはしない。