いくらか追い詰めてでも、自分は緊張感持たないといけない。気を抜いてはいけない。

全くダメな人間なので、どうして自分が思ったように自分は頑張ってくれないのかイライラする。しかしこのように書くのもある意味誰かへの言い訳なのである。

おれのやるべきことは技術的限界に挑戦にすることではなくて、メンテナンスしやすいコードを書くことのはずである。技術的限界への挑戦なんてのは、もっと頭の良い人が勝手にやる。バカはバカなりのことをしなければならない。最初にコード書く原動力となったのは何だったか? 頭の良い人が書いた、頭の良い人にしかメンテナンスできないように書かれた、内容は難しくないコードを見て、これなら自分で書きなおしたほうがマシだという気持ちではなかったか。

本心を口に出して話せるのというは貴重だ。日記にどう書いたとしても、口からでる本心に比べると、全く本心ではないことを書くことになる。そういう相手がいるというのは幸せなことだと思う。でも口に出してしまえば何も残らず揮発していくし、また、口からは出せない本心もある。

「無闇に安心している」ということを自分は嫌っている。何らかの受動的な幸せに甘んじているのもこれに入るんだろう。それもいいと思いつつ、直感的にはだめだと感じてしまう。そういった幸せはいつまでも続かないという気持ちから、一部それはきている。あるいは無能なやつや努力していないやつが幸せになるのは、他人でも自分でも許せないというような根本的に心が狭い考えがあってそう感じるのかもしれない。他人に対して表向き寛容であろうとしても、心の奥では不寛容な気持ちがいっぱいあるのだ。(好みでない)他人が幸せになろうが別にどうでもいいというのも本心の一つではあるのに……

いやいや、そういうことを書きたいわけではなくて、単に、なんだろう……

想像力と意志力が欲しい。結局この二つだ。