「あわなそうだな」ということでも試しにやってみろ、やってみないとわからない、ということを言う人はとてもよくいるけど、アホだと思う。「あわなそうだな」ということを押しつけられたとき、やってみないとわからないかも、と思って試してみるのもアホだと思う。

物事を新しくはじめて「あいそうか」「あわなそうか」と、その結果の「あってた」「あってなかった」の組み合せなんて以下しかない。

  • 「あいそうだな」と思って実際「あってた」
  • 「あわなそうだな」と思った結果「あってない」
  • 「あわなそうだな」と思ったけど「あってた」
  • 「あいそうだな」と思ったけど「あってない」

そもそも最初から「あわなそうだな」と直感的に思うほどの苦手意識を感じているのに、結果として「あっていた」というのは、根本的にクリアのハードルが高い。

求めるのは結果として「あってた」ということだけだ。結果の頻度から考えて「あわなそうだな」ということをやるのは時間の無駄で、ただの被虐的性癖だ。

「試しにやってみろ」とか言う人は、何らかの成功体験を持っているのかもしれないけど、それは成功体験でもなんでもなくて、単に選択ミスをしたことを認めたくなくて「どんなことでも経験になる!!!」とか思い込みたいだけだ。本人の内面においては、そういう「どんなことでも経験になるんだ……」と思い込むことは健康上悪くないと思うけど、他の人にも同じような失敗をさせようとする人ってのは限りなく愚かで害でしかない公害みたいな存在だと思う。

やってみないとわからないかも、と思いながらやってみることをやめよう。