なぜか真っ先に雪の日の庭を思い浮かべる。
もともと東北地方に住んでいたので雪自体はたぶん珍しくないのだけれど、幼稚園のころを思い出すと、雪の日に庭で傘もって独りで遊んでる自分だったりする。なんでかわからない。あれ、でも雪じゃなくて雨だったかもしれない。すごく暗くて
次に出てくるのは幼稚園へいく道で、こっちは雪が降った次の晴れた日だ。そんな日が本当にあったかはわからない。幼稚園のころに見た夢なのかもしれない。
なぜか真っ先に雪の日の庭を思い浮かべる。
もともと東北地方に住んでいたので雪自体はたぶん珍しくないのだけれど、幼稚園のころを思い出すと、雪の日に庭で傘もって独りで遊んでる自分だったりする。なんでかわからない。あれ、でも雪じゃなくて雨だったかもしれない。すごく暗くて
次に出てくるのは幼稚園へいく道で、こっちは雪が降った次の晴れた日だ。そんな日が本当にあったかはわからない。幼稚園のころに見た夢なのかもしれない。
プリペイド番号の最後の4文字が、かつて好きだった女の子のメールアドレスと一緒で泣きそうになった。
なかなかうまく人間ごっこができない。
人間ごっこについて考え始めてから、Syrup16g の一部についての解釈が少し変わった。ので、人間ごっこに関係するあたりを引用してみる。
全てを喜びに変えろ
君は死んだほうがいい 外の世界はどんな風
人間ごっこを自覚しろ、という風に解釈するようになった。
頭はハピネス いつもハピネス 多分ね 一生 俺はハピネス 不幸もハピネスだろう
「ハピネス」はまさに人間ごっこ
例えばシロップ以外でも 現在位置の自覚をせんと
だとか、「愚か過ぎた」と神様ごっこしよう
だとか、ART-SCHOOL の木下氏が日記でいう「客観視」だとか、結構ある。
客観的な自分の位置と、それを見て楽しむことができること、が重要だった。
透明の日々って、少し前までは、特に学生生活のことを指しているんだと思っていたけど、実際は別にそうとも限らないことに気付いた。確かに学校内だと特に透明の日々が強調されやすいんだけど、逆にその程度だった。
透明の日々といえば、やはり「鋼鉄の朝 (BURGER NUDS)」がメインだけど、他にもでてくる。日々はにぎやかな孤独
。syrup16g における やっているのは誰かの代わり
。ユメミルクスリとかいうエロゲーでは透明の日々というのがそのままでてきた気がする。
極めて簡単なことをいろいろ考え直す必要がある。