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17歳に、なりたい。ただ、それが、高校で、オレが、オレでないことを祈って、あるいは、オレがオレであっても、オレ以外のオレが、オレの中にいるように、生きたい。

どうでもいいけど、自分が想像する、洗濯機からでてくる女の子は、ヘッドフォンをつけてない。なぜなら、彼女にはそれが必要ないからなんだけど、いや別についていたっていいんだけど、ついていない子を見るほうが、多い。洗濯機から出てくる女の子は、目立たない。違和感がない。日常に溶け込んで、洗濯機から出てくる。

普通さの正しさ、自分の考える完全な普通さは、洗濯機からでてくる女の子につまっている。その日常とか、透明さが普通で、でもこの論理的じゃない、理不尽な世界においてそれは異常に見えることも、ときにはあるよね、っていうこと、なんですね。

すごく普通なことは、実際ほんとにリアルに溢れていて、それが自分の眼に「リアリティ」として現れるには、自分がそれに気付けるか、という一点にかかってる。自分がそれを感じられるか、って忘れないようにしないと。

雰囲気に飲み込まれて、立ち位置を見失うと、せっかく構築しかけた世界観も壊れるから、注意しながら、しっかり考えないと、また明日も明後日も危ない。

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やっぱり、なるべくしてこうなっている感がヒシヒシとするなぁ。別に誰が悪いわけじゃなく、強いて言えば結局のところ自分が悪いということになるのだけれど。

何か楽しいことにどうやって首を突っ込むか、というのは、そのときの環境に依存する。そのときの環境はそれまでの環境に依存する。自分は環境の反射であるのだから、やっぱなるべくしてなっているな、とか、なんとか。知らないよ。

調子に乗らないように、とか思ったりして、時々不特定多数への DIS を見たりして落ち着いたりとか。そういう意味で、DIS って必要だなって思った。嫌だけど。

環境に求められている能力がないということは、つまり自分が自分でないことなんだよね。で、その差がいまいち釈然としなくて気持ち悪い感じ。じゃあその自分でない自分っていうのは、誰なんですかっていう、よくあり気な問答があるわけで、問答とか言いつつ答えがない罠が待っているわけで、なにこれ、みたいな。

アウトプットしないといけないのに、どうもアウトプットする能力が明らかに足りていなくて、あるいはモチベーションとかも足りていなくて、結局何もアウトプットできない。作れない。

どういう人がすごいかっていうと、なんだかんだでアウトプットが大きくて、それなりにフィードバックが (DIS であれ) ある人なんだよなぁ。そしてそのフィードバックを次に生かすことができるような、なんか、無理だな。

もちろんそのアウトプットは、適切な基礎があってこそで、あるラインを越えるまで、絶対的に孤独な向上作業であるはずだけれど、何か間違ってラインを越えないうちに誰かと何かをやったりするのは、困ったことになる。不安定なものを余計不安定にしてどうするんだ。しっかり基礎をやるべきだ。前も似たようなこと書いたなぁ。今年の4月だ (検索した)。

時間もっと欲しいなぁ。腐るほどあるだろうって怒られそうだけれど。

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