デスクトップ

魔王 より。メインのほうを答えます。サブは前のときとあんまり変わっていません (ただしマシン自体は ノートからSC430 になり、xfce ではなく Gnome になってる。って全然違う気がしてきた)。

まっさらだと寂しいので作業中っぽい感じにしてあります。見えてない部分のデスクトップはなんもないです。

【1】あなたのデスクトップを晒して、一言どうぞ。
  • フォルダ開きすぎ (少ないほう)
  • mixi のコード (謎) がまだあった
【2】OSは何?
Windows XP Professional, サブは ubuntu Linux です。
【3】これはあなた個人のパソコン?職場や家族共有のパソコン?
こじんよう。
【4】この壁紙は何?どこで手に入れた?
壁紙って殆ど見ないのにリソースを食っている感じが気に食わないのであんまり設定しないです。たまにヘッドフォン娘だったり、ハマってる唄の歌詞をダラーって書いたりする。
【5】壁紙は頻繁に変える?
一年に一回ぐらい設定したくなる季節があったりなかったりする。
【6】デスクトップのアイコンの数はいくつ?
4個。
【7】ファイルやショートカットがゴチャゴチャしているデスクトップ、許せる?
あんまり見ないから気にしない。
【8】何かこだわりはある?
作業できればいいよ。タスクマネージャは常駐
【9】今回、このバトンが回ってきてからこっそりとデスクトップを整理した?
した。ファイル名からしてアレなのを削除した。というか「した」って言ったらこっそりじゃない気がする。
【10】最後に『この人のデスクトップを覗きたい』という5人
あるふぁギーク (笑) のみなさん (笑) 。

学校のグループワークで一緒の人のデスクトップがアイコンで矢印を作っていてかっこいいと思った。

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  3. デスクトップバトン

こういう日記を付け始めた時、他の人のようにうまく長い文章が全然かけなくてすごくアレだったんだけど、最近は無駄に長いばっかりのを書いてるなぁ。そしてやっぱり長いだけでうまく書けない。

思ったことをできるだけ書くことができるようになったかな。ちゃんと、理路整然とした文章を書けるようにならないと……ってことを前にも書いたなぁ。

っていうか、学校のほうのブログ (笑) にも書いている (課題関係・先生のブログへの反応とか) わけで、思いついたこと書きまくるととまらねーとまらねーって感じ。それに加えて未だに書きたくても書けないことが沢山ある。

逆に、何も書くことがないときって、何も考えていないんだなぁと分かる。


人によって「(笑)」の受け取り方が違うのが面白いので、少し多めに使ってみるよ!

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  3. だんだん書くことが長くなる

今日の講義でポインタの説明があって、その中で先生がポインタを理解するまでこんなに苦労した!みたいな話を聞いた。

それを聞いたときから、自分はいつポインタっていう概念を理解したんだろうって考えているんだけど、どうも分からない。

C/C++ とかを殆ど書いたことがなかったので、実際にポインタに触れる機会は今までなかったといってもいいと思う。でもいつの間にかどういうものかっていうことは理解していて、なんか不思議な感じがする。

いろいろ過程を辿ってみたんだけど、もしかしたら Ruby 触り始めてからかもしれないなぁと思った。Ruby の破壊的メソッドの理解の過程で、「変数」に対する考え方が変わった (箱という理解から、名前・ラベルという理解へ) とき、ポインタを理解したのかもしれない。メソッドに渡される引数が参照で渡される云々の理解かな。あとは拡張ライブラリの作り方とかでかなぁ。やっぱり正確なところはわからない。


で、先生の場合「ずっとわかんなかったんだけど、ある日起きたら理解していた」とか言っていて、ねー……あるあるwwとか思った。ポインタとかに限らず、なんか寝て起きたら視点が変わってて、あーなんだ、もっと簡単じゃーんみたいな。あれって結構感動的というか、好きなんだけど滅多にない。

時々すごく集中してプログラムを書くことがあって (滅多にない)、そういうときはもうずっと頭の中にある完成形まで突っ走ろうとする (寝ない) んだけど、アルゴリズムとか苦手だからちょっと難しくなるとすぐ躓く。それでもう諦めて、いいやーって寝て、起きるとなぜか思いついてコードが書けるっていう不思議現象。面白い。

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  3. いつポインタを理解したんだろう

一週間がめちゃくちゃ長い。やりたくないことをたくさんやらないと次の週にいかない。

一週間がめちゃくちゃ短い。やりたいことをたくさんやろうとすると次の週になってる。


可能なら、定期的なこと (学校とか) をすべてリセットしたい。

やりたくないことって、本当に、内容に関係なく、やらないといけないことが全てやりたくないことだった。せっかく内容は楽しいはずのことなのにさ、やらなきゃいけなくなったとたん、全部そういうのがなくなって、嫌な気分になるわけだ。

よくこういうのをみんな耐えているよなぁ。すごい不思議なんだよね。何でやらないといけないことを笑ってやってられるのか。責任とかの類のプレッシャーばっかりで、楽しさのゲージがそれを超えない。なにが楽しいのかよくわからない。

例えば学校の課題とかをやっていても、「やらないと単位を落とす」っていう脅しばっかり感じて、何かを学んでいる気が全くしない。何かしら役に立っているんだろうけど、全く感じない。何も変わった気がしない。ただたんに、「どうにか今回も乗り切ったか」っていうのがあるだけで、その課題が終わった直後から「ああ、次の課題がまた出るんだな」って思う。これ、どこに楽しさを見出すスペースがあるんだろう?

学校に限らないで、定期的に何かやらないといけないことって、全部このループにはまっている。一過性なら、乗り切ればそれで終わりだからまだ畳み掛けるような気持ち悪さはないけど、それだって本当は嫌なことだ。


何してるとき楽しいのか分からない。幸せだなぁって感じる瞬間を想像することはできるけど、心から楽しいなぁって思う瞬間ってちゃんと想像できない。幼稚園のときとか、なんで楽しかったんだろう。

工作するのが好きで、そういうのしてるときは楽しかったと思うんだけど、今やろうとしても、違うんだよなぁ。歳相応のクオリティを出せなくて嫌になる。その行為自体は面白くなくなってしまった。結果が全てだもんなぁ。誰も過程なんて見やしない。

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  3. 一週間が長く短い

何がやりたいのかと聞かれれば、「何もやらなくていい」ってことをしたいんだけど、やっぱりそれはダメみたいなんだよね。憲法にも勤労の義務って書いてあるしね。

結局大学なんて就職のための踏み台にすぎないんだけど、心から就職したくない (今よりもやりたくないことに対して責任を求められるなんて本当に悪夢だ) とか思うし、そこで、大学をやめるって言ったとき、じゃあどうするの?って聞かれて答える言葉を持っていない。

何でこんな世界にいるのかなぁ。


そしてやっぱり、何かとケチをつけたがる人に囲まれて、何かと全てを否定されながら、なにもしたくないのに、無駄に生きていくんだなぁ。死にたくないのになぁ。


それで、喧嘩売るのが楽しみな人に、喧嘩売られて、とことんニヤつかれて、それを我慢するわけだけど、そういう悪意でドロドロしてる社会に、自分から突っ込んでいくっていうのを、ほんと、尊敬する。でもそういう人が今度は、喧嘩を売る人になって、ドロドロとしていくっていうのが、嫌すぎる。

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  3. じゃあ何がやりたいのか