lb もそうだと思うんだけど、流行ってきたから嫌、っていうのはすげー気持ち悪いなー

リーダーを誰かに望んでいる。ヒーローを誰かに望んでいる。でも自分でリーダーやヒーローにはなりたくない。脇役になってちょこっとおいしいところを持っていければいいと思っている。自分だってそうだろう。

時々言葉の影響力を全く計れない。「これはまずい」って直感的に感じることはあるけれど、それが正しいか自信がもてない。非公開の場に何か書くことに慣れるのはまずい。やめよう。

なんかすごくむかつくけど、何を書いたらいいかわからない。無駄だと思う。でもどうにかしたい人達がいる。おれはどうやったんだっけ?

たまに忘れそうになるような生活をしているけど、世の中には圧倒的に嫌な人、合わない人のほうが多くて、これは疑いようのない事実だから、忘れるようなことがあってはいけない…… 近付いてこなければいいのに、って思ったとしても、それは彼らにとっては違う。嫌いだからとかじゃなくて、なんとなくで殺そうとして近付いてくるのだ。

低ビットレートエンコしてノイズ入れて大音量で聴くと気分がとてもいいですね。あとこの曲の PV の後半はなにがなんだかわからないけど腹の底が強く圧縮される感覚があって素敵だと思う。ピロウズまじでかっこいいなぁ。

コーディングルールについて、僕はかなり神経質に考えている。プロジェクト全体の一貫性のなさが一番の悪だと思うからだ。そういうものは全く美しくない。汚いコードが、プログラミングをはじめたときから一貫して嫌いだ。コードだけじゃない。GUI のデザイン、特に昔よくあった、何故かボタンとかに無駄に色をつけて Windows の標準 UI を逸脱するようなものとか、そういうのがめちゃくちゃ嫌いだ。

僕はコーディングルールを定めて (というか書いてたら勝手に定まるものだけど)、書きくだしてる。でもそれはいつも守っているとは限らない。もっといい方法をいつも探している。より強い一貫性を探している。読みやすさと、一貫性が最重要なルールなので、それを守っていればそれより下のルールは変えていける。逆に、他人のコードを編集するときは周りのコードからルールをできるだけつかんで、自分が好まなくてもそっちのルールにあわせる。一貫性がなくなるのが嫌だからだ。

とにかく一番嫌なのは、一貫性がないこと、汚いこと。ルールを他人に決めてもらって、その範囲で「できるならなんでもやっていい」は間違っていると思う。

何のためか、誰のためかを忘れないようにするのが重要だと思う。僕は未来の自分が読みやすいようにコードを書いてるから (すなわちそれは、今の自分よりもスキルがある誰かを想定してる)、そのためのコーディングルールを持ってる。

目的を円滑に遂行するために作ったルールなのだから、ルールを守ることを目的にしてはいけない。ただそれだけだ。ルールを作らなくていいという意味じゃない。

コードを読むときは、読めないコードが出てきたときに、読めないことを恥じ、コードを書くときは、読めないコードを書かないようにし、読めないコードを書いてしまったときにはそれを恥じる。そういうバランスが、御互いに必要っていう、あたりまえのことだ。そこにコストを感じすぎるなら、たぶん一緒にやる相手を間違ってる。

fotolife は画像のサイズを設定できるのと、縮小法が汚くないのがいいっぽい。でもオリジナルを保存するっていう用途では別の使ったほうがよさそう。

言語覚えるのは十分に暇じゃないと無理だ。最初のうちは誰の役にも立たないものしか作れないし、そういう期間は結構長い。ある言語の面白さを熟知するには、暇じゃないといけない。