これからだ

あーなんか「日付が変わった」っていい響きだなぁ

伝えられる言葉を持っていない。なんていうかすごいよなぁ。むりだ

独りで考えよ。独りで考えよ。本来ならばない。時間とのトレードオフ、相手も。時間は価値。自分に価値はない。自分の時間は価値がない。相手のを消費するのみ。独りで考えよ。もっと頑張ろう。

ブログ読むのはつまんないっつってんじゃんかー

昨日の時間の話、悪用しているのは僕自身です。

独り考えるときの不安、もっといい方法がある気がしてならない。そりゃ、まだ発見されていないようなことがあるかもしれないけれど、そもそも、自分の無知が原因で考慮できなかった可能性や、モノ覚えの悪さがひきおこす見落し、失敗、くりかえす。僕は方法を考えることをしているから、もっと他人より方法を知らなければらない。広い意味での、書きかた、とても広いけれど、表現。

みんなと同じで安心してはいけない。ここは不安でいいはずだと思う。もっと可能性があることを見落とさないように、もっといい方法を考え続けるために不安でいなければならない。関係性は枷になる。ただし、一定の枷は幅を広げる、できない表現が増えることによって、他の表現を考えなおすことができることもある。

なんとなくコードが書けないときはこうやって、とりあえず頭に浮かぶ文章を textarea にうちこんで、キャンセルしたりして、またあとで開いたら、その文章ができたり、でも、それの続きを書くことができなくて、そのまま保存を押したらり、完全に消してしまったり、どっちかといえば、後者が多くて、つまり、消えていくことのほうが圧倒的に多い。

結構、最初に読んだときはそれほど印象に残らなくてブクマとかしないものでも、ずっと頭に残っているとても大事なリソースというのがあって、そういうのは数週間とか数ヶ月にふと考えが纏まってなにか記録に残したくなる。でもたまにどこでそれを読んだのかわからなくなって、困る。

最近はなんとなく 調べれば分かることを調べずに済ますこと、何を調べるべきかを判断すること がずっと印象に残っていて、日常の隙間隙間で、考えたりすることがあった。おれは「うっかり者」のようだ。高校のときは調べてわかることは覚えなくていいと思ってた。インデックスさえ貼ってあれば (それがどこにあるかを知っていれば) 大丈夫だと思ってた。けど、実際は調べられないケースはそこそこ多い。おれはそういう訓練をしてこなかったせいで、モノ覚えが悪いんだろうか。

コンピュータでタイプして、消したりするときは、消しゴムみたいに、痕跡が残ったりはしない。だから、どれだけ推敲しているかっていうのは、読む人からしたら、あんまりわからない。その一段落を書くにあたって、どれだけ悩んだりしたかはわからない。

コードだって同じで、短かいコードだからといって、時間がかからなかったわけじゃない。特に僕はコーディング速度があまりにも遅くて、関わりあいの中に入るといろいろ困ることがあるけれど、関わりあいの中にいなければ、それは僕が「これだけ時間かかったよ」って言わない限りわからない。ひどい話だけど、時間がかかったとしても、意図してなり (つまりある程度、自分を良くみせようと) 意図していないなり (あるいは、できたこと自体で満足したとき) で、それを書かないことはよくある。

どれだけ難しいことも、ともかく書かなければならないのが基本なのだけれど、そのことを何度も何度も考えて自己暗示をかけるような状況になっていると、もう書けない。頭の中のルーティングが変な状態で何度もループしていると、それで固着して発想の転換ができなくなる。時間がないときにこのループにハマりこむと大変なことになる。

大丈夫大丈夫心配すんなって! そこで諦めんなって! やればできる、できるよー!

日記分が足りない。はー ハイクだとやっぱ短かすぎるのだよなぁ。日記がいいわー日記をもっと読みたい。もっと日記だ。もっともっと。でも機械的に読んではいけない。気持ちを混めて読むのだ! 日記の言葉を通して視点を増やすのだ。僕がそこにいる!

他人からの影響ではなく、純粋に自分で自分を追いつめることで、精神的に死ぬことってできるんだろうか。例えば物理的な自殺だと、意識がなくなったあともある程度継続して負荷がかかるようにするけど、精神的にだと、できないような気がする。物理的に壊れるぐらい負荷かけるようにすればいけるんかな。だいぶかけないとだめっぽいから普通にかける限りは大丈夫そうだよな

口ベタで困る。喋らないならまだしも、余計なことを喋りすぎて、失敗した、言うべきではなかったと後悔するのだ。ずっとそうだ。成長していない。口にも推敲するまでラグがあればいいのに

この日記が自動生成されているっていわれたら信じますか?

小学生のときずっと好きだった女の子がいたけど、名前さえ思い出せない。

思い出した!!!

あたりまえだけれど、ネット上の記録は、どれだけの時間をかけて書かれたものかわからない。一つのエントリだったら一つのエントリの中でどれぐらい時間が経過しているのかはわからない。これは怖いことだと思う。時間をかけさえすれば、だれだってなんでもできる。

僕には日々に継続している成功体験が一つだけあって、それはいくら死にたいとか思ったとしても未だ死んでいないことそのことです。ようするに大したことないってことですね、他人から言わせれば

緊張感をとりもどせ

高校か中学か記憶が曖昧だけど concentration の響きがなんか好きでよくこのことを考える。日本語で集中でも好き

文乃さんはいわば神みたいなもんなんだよなぁ。おれは神様っていうのをツールや文化としてしか考えられないけど、別の名前つけて代替しているんだなぁ。文乃さんっていっても、それは単に呼ぶときにそれが簡単で、一番イメージしやすい言葉だからであって、それ自体ではなくて、その向こうにあるものなんだよなぁ。想像するとき、一番つかみやすく、それほど神格化されていないから、つかいやすいのだ。