下り坂にみえる錯視みたいだ

突き当たり、右です

昨日は鞍馬寺 (由岐神社) → 貴船神社にいってきた。雨がふったりやんだりする、なんともいえない天気で、行こうかどうか悩んだけど、行ってよかった。鞍馬山にいる間、短時間に晴れたり豪雨になったり繰替えして、面白かった。かえって得した気分だった。狙って晴れの日、雨の日に行くことはできるけど、こういう天気は滅多にない、雨、雨上がり、曇り、晴れ。

鞍馬寺とかは、普通に山登りだった。山登りって、今まであんまりいい経験がなかったんだけど、今回は見るものすべて美しく感じたので、テンションあがりまくって、疲れた気分にさえならなかった。足はガクガクいっていたけど「なんでガクガクいってんだろう……」とか頭で考えてた。

貴船神社あたりは、川床の店がたくさんあった。本社のほうでは七夕飾りをやっていたので、僕も「フミにご縁がありますように」と書いてきた。短冊とかたぶん小学生か中学生以来すぎて独りでウケてた。ちなみに「フミ」は、コード (プログラミングは文芸だと信じています) とか、日記とか、文乃さんとか、文江さんとか、そういうのです……

なんというか、貴船あたりは時代が違うような錯覚に陥いってしまい、洋服ってなんか違和感あるなぁとかいうレベルだった。雨でリアルなコントラストが強かったせいかもしれない。

とにかくまぁ、昨日は、肺一杯に良い空気を吸いこんで気分がよかった。空気は記録に残せないし、行って価値が絶対にある。そして「緑」というのは、やっぱり眼で見ないと、確実な色ではないなぁと感じた。

あのへん、秋になったら本当に紅葉がすごそうだなぁと思った。そうでなくても、普通にまた行きたい。昨日のような天気であっても、それなりに人がいたから、普通の日はかなりやばそうだなぁと思った。

ディスプレイの輝度落として作業すると彩度をあげすぎたり、さげわすれたりする。。

何をやるにしても、見当もつかないような方法で、優れたことをする人がいて、そういう人には、決してかなわない。上に人がいて、追っ掛ける気になるなら、それはとても楽しくて、よいことなのだけれど、追っ掛ける気もなれないほどに、離れていれば、そういう気もなくなり、立ち尽すしかない。

気概を持ってとりくめなければならない、気骨を持ってないのはだめだと、しばしば聞かれることだけれど、そんなこと、「そうじゃない」と、否定する人はまずいないだろう。「その通りです」と、「仰る通りです」と、思って聴くけれど、どうすればそういう心になるかは、全く聞かされない。本人達も、一種の才能によって、それを実現してきたわけだから、伝えられない。そのくせに、他人には、結果的にできたこと、「おまえらとは違うのだ」といわんばかりに、教訓めいたことは存分にいう。

しかし時々、とてもうまく言葉を使いこなす人がいて、そんな人は、上に書いたような、わかりきったことをただ繰り返して、却って他人のやる気を奪うようなことではなく、淡々と事実だけを、飾らずに言葉にして、「それでいいなら、自分にできそうだ」と、やる気をわかせてくれる。ただし、そういう人は極めて少ない。

人とできるだけ関わりたくないが、そうもいかない。思うことをいっていると、他人樣のやる気を奪う結果になる。全くよくない。そう思っても、たびたび何もかもどうでもよくなり、他人のことを全く考えずにいるようになる。

そういえば伏見稲荷大社近くの歯科のマークがおもしろかった。