ジェーン・エア(下) (新潮文庫) - C・ブロンテ

C・ブロンテ

3.0 / 5.0

読み終わった。結局二ヶ月ぐらいかけて読んでいてうける……

あらすじと結末を知った状態で読んでいたので、後半はあんまり面白くなさそうかな、と思っていたけれど、そんなことは全然なくて、後半における、リヴァーズ姉妹とジェーンの共感の流れ (要するに血縁の伏線) や、彼らが少ない親戚とわかったときのジェーンの高揚っぷりが、なんというか、生の実感を伴っていて、すごく良かった。

結末は暗さを残すもののグッドエンドっぽい終わりかたなので、悪い気はせず、だからといって、何もかもが良かったとはいえず、非常に好みにあっていた。

今年写真を撮ってわかったことで、一番重要なのは、モノの正面をちゃんと見よということだと思った。写真撮るときにひねくれて撮ってもしょうがない。

今年はギリギリになって、仕事とは関係ないけれど、かなり(自分の中では)チャレンジングなことをすることとなった。切っ掛けは外部要因だが、その切っ掛けを持って強く意志を持ったまま行動できたのは、たぶん今年一番に良かったことだった。内容的にも、反省点はいくらでもあれど、悪くはなかったと思えたので、そういう成果の点でも良かった。

今回は、いくつかの外部的なことが重なったおかげのことで、直接的には全く関係なくとも、自分の中では特定の人物にかなり助けられた場面があり、直接的に関係ないのでそれについてお礼を言えないのがもどかしいが、なんとか別の形でおかえしをしたいものだと思った。

秋に夏の写真というのも良いものです

開放からシャープなレンズは存在するし、と思ったところで表示が404になり (ブクマ非表示ユーザのダイアリを開くと 404 になるスクリプトを使っている) 読めなくなったのでそっとタブを閉じた。読む必要のないエントリがわかって便利。

_why という、なんというか、すごく存在感のあるアーティストがいたけど、去年に、一切合財のリソースを消去して忽然と消えてしまったのを思い出した。恐しいことだと思う。インターネット上でしか繋りのない人に関しては、そのように、ある日突然、我々にとっては死んでしまうようなことが起こる。(そういう、何もかもが消えてしまう、というわかりやすい方法ではなく、単に何もアウトプットがない状態になったりしても同じだ)

何か思ったより、やらないといけないことが溜っていて焦る……

問題の多さよりは、ここ数日頭を悩ませている、普通の人なら解決が簡単であろう問題は自分をかなり厳しい心持ちにさせる……

すごく簡単なことなのに上手くできなくて日常的に困るのは

  • 食べ物屋に入れない
    • こわい
  • 美容室に入れない
    • こわい
  • プレゼントを選べない
    • 何を選んでもダメな気がしてしまう
  • 人と会う約束をできない
    • 何が難しいかわからないが難しい

もっと割り切りが必要なんだろうなあ。重要なことをちゃんと優先できれば、正確な行動はできるはずだ。

酔わなくてもできるし

食べもの屋さんに入るのが強烈に苦手で、狭い空間で店員にじろじろと見られたうえ、思われた結果を釈明できない感じになるのがすごく苦手だ。なので、食事がものすごく保守的になりがちである。治したいというか、気楽にお店に入れるようになりたい。

長浜まで行ってきた。別に行きたい観光地があるわけではなかったが、長浜にいって歩いてきた。

ここ最近は、くだらないことでイライラはしても (結局のところうまくできない自分へのイライラに集約されている)、他人に対して強い憤りみたいなものが沸いてくることはなく、割と落ち着いていて、そういった、憤りによって書かれる何かしらとかもなかったけど、全く予想だにしないきっかけによって、ある種の想像力の全くない人達にまた一層強い感情を持ったりすることになって、健康に良くないので、どうにかして、その感情を封じこめ、またあとから参照可能なように、まわりくどく日記を書かなければならない。そういう、想像力のない人々の中に、自分も含まれていることにイライラしつつ、うまく自分でそれを解決できない、ないし解決して他人を幸せにできないことにイライラしつつ、なぜその想像力のない人間になるのか、それは解決できないのか、ということをいちいち全て考えてまわらなければならない。

そういった人達と一緒にいるときに抱く、イライラ感と、そういった人達に虐げられている自分の惨めさや、あるいはそれらを飛び越えたただの恐怖とかは、自分の中だけにあるのであれば、自分の耐久性と、自分の頭のスイッチの切替えをして、内的に解決して乗り切ればいいが、そうではないときは、どうにかして外的に解決する必要があるだろう。

実際のところ、全然猶予のないことであるのに、一体どこに安心が存在する余地があるだろう。一方で自分は何をやっているのだろう。何年も前からわかっていたことだ。もっと考えろ。だめなやつだと安心してはいけない。

想像力のなさは、俺の、言い訳が全くできない完全な失敗が含まれており、ことあることに思い出されることではあるが、誰にも謝ることができない。

全く、個人的な問題では一切ない。

自分の普段の生活、すなわち、会社と自宅を往復しできる限りのことをしたうえでインターネットをする生活、では (自分の望み通り) あまりにも想像力が欠落している人や、安心しきっている人とは殆ど関わりを持たなくなっていたので、自分の観測範囲ではその問題は結構解決してしまっていて、それが自分に余計な安心を生んでいるのだった。解決しなければならない問題は、もっと真剣に考えなければならない。問題がちゃんと意識できるなら、あとは解決するだけだ。よくよく

同じ過ちを繰替えさないように。恥なんてとっくに捨てているのだから、なんだってできるだろ。こんなクソ日記を恥も知らず書けるぐらいなのだから、本当になんだってできるだろ。しっかりしよう。ちゃんとしよう。

普段の自分に一切の誇りはいらないと思うが (それは単にくだらない意地や争いを生むだけだ)、仕事に誇りを持てないのだけは避けなければならない。まだ大丈夫だけど、変化の激しい業界は意識的にそれをしないと笑えないことになりそうだ。