「こんなお料理、ちっともおいしくございません。なんにもないので、私の窮余の一策なんですよ」と、私は、ありのまま事実を、言ったつもりなのに、今井田さん御夫婦は、窮余の一策とは、うまいことをおっしゃる、と手を拍たんばかりに笑い興じるのである。私は、口惜しくて、お箸とお茶碗ほおり出して、大声あげて泣こうかしらと思った。

太宰治 女生徒

有能感味わいたい (これは自分の中から沸いてくるものであって、他人との関係性の中にはない)

私たちは、決して刹那主義ではないけれども、あんまり遠くの山を指さして、あそこまで行けば見はらしがいい、と、それは、きっとその通りで、みじんも嘘のないことは、わかっているのだけれど、現在こんな烈しい腹痛を起しているのに、その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして、ただ、さあさあ、もう少しのがまんだ、あの山の山頂まで行けば、しめたものだ、とただ、そのことばかり教えている。

太宰治 女生徒

先日は写真撮るときに、不穏な感じにならないようにレンズ選んだり撮りかた変えたり現像パラメータを変えたりしたけど、普段全くそういうの撮らないので、こんな感じが限界です。

本人によらない情報の制限というのは全く良くないし、やだなあと思うのだけれど、自力での情報処理が追い付いてないときは、どうすればいいのかなあ。

たぶんこれ子供が風邪ひいたときの感情なんだろうな (僕は子供いないので本当にそうかは知りませんが)

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社会的な不安がはびこると、能天気に振る舞うことを期待されるロールをアサインされて、慣れないギャップに苦しむので、さっさとなんとかなると個人的にも嬉しいです。

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そういや、平常時アサインされて一番困るのは優等生ロールですけど、これほんとタチ悪くて、あらゆる行動のコストがあがる上に、逃げ出す以外に解除する方法がない。

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ちょっと納得することがあった。

やりたいことの重心部分には、あたりまえのように、他人が創作性を発揮して承認欲求を満たせる場をつくりたいというのがずっと流れているので、そうじゃないものをつくる発想がそもそも沸いてこないのであった。どんなときも当然そういうものを作るのだろうというのが根底にあったにも関わらず、違うことを考えようとしているので、そりゃうまくいくかよという感じだ。

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つまり、自分の想定ユーザ像の中には、創造性やら、向上心やらがない (承認済みで安定してる) 人が一切入っていないのだった。

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世の中、自分が考えてるより幸せなやつが多いらしい。そうじゃないならストレスを買いにいくことなんてしないだろう。キノの旅というラノベに、働かなくてよくなった国の話があったことを思い出した。働かなくてよくなったのに、ストレスを買いに働きにいくという話だ。そのときは未来的な話だと思って読んだけど、今考えみると、未来の話じゃなくて現在の話だった。

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定時すぎるとそうでもない

またろくでもないことが書けなくなってるし、ろくなことがない。

そのようにして、アホ同士で逃げ道を失くしてきた結果がこのザマ

冷笑的態度とってるの嫌だ

朝っぱらからイライラする

久しぶりに見た夢をちょっと覚えている。

近くの漢方処方の内科の先生のいる病院にいく、先生は虚ろな目をして診察をしたあと、漢方2種と、ふりかけを5種ぐらい処方する。自分は「ちゃんと飯食えってことですね」と納得する

場面が変わって、寺みたいなところにいる。宗教家と話す。

場面が変わって、水陸両用の車 (といっても水に入るときは車全体がひっくりかえる) に乗る。雨で増水した川の支流を登っていくが、本流に合流するところを見ると、濁流でおそろしいことになっているので、ひきかえす。

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頭のいいやつは冷笑的で、誰かをバカにすることはあっても救うことはない。

帰宅するとそうでもない

あー無駄だったのだな、とふと思うときがあって、つまりあの、嫌で嫌で仕方ないことをしていたことというのが、ある程度報われるときがくるのではないかと、今でも思い続けている中で、そんなわけないのね、というときがあって、そうするとまあ翻って、嫌なことするのは本当に何にもならない、無駄なことだなと、全然、当たり前のことにまた気付くことになるわけです。

なんか、やはり、そういうことに気付かねばならないということは、嫌なこともやらなくてはいけない教みたいなのに、知らないうちに入信させられていて、価値観を強要されているのだなと思う。こういう、人生で全く無駄にしからない文化的教義を発見しては、みな破棄していきたい。

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山登りって、子供のときすごい嫌いだったはずなのに、今は割と好きだ。目標がはっきりしているし、目標に辿りつくまでの方法もはっきりしている。あとは単に方法にそって事 (足) を進めれば、確実に目標に達成できる。とにかく、簡単だ。

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コード書くこと、そのこと自体は別に好きではなくて (書くこと自体が好きだったら、コードを短くするためのライブラリとか作らないわけです)、コードを書いて何かしら納得いく目標が達成されるまでがセットで「コードを書いて楽しい」という気持ちなのですよね、たぶん。「わかりにくいコードがわかりやすく綺麗になった」とか「あれが簡単に実現できるようになった」とか……

まぁできるよね、ってのを、単にコードに写していっても面白くない。あーすればもっと上手くいくなっていうのをちゃんと組込めないといけない。

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さきが想像できれば、必要なものが自動的に見えてくるけど、そういうことではないのかな。そういうことではないのかもしれない。もっと別の部分で負のモチベーションが、強烈に嫌な気持ちになる何かがあるのかもしれない。

よくよく考えてみると、作ったものに対してうける負のもろもろ (批判とか・理解されないこととか) と、正のもろもろ (褒められるとか、技術的やらプロダクト的に納得がいくとか) を比べたとき、ちゃんと正のほうに向いてないと、そりゃその差分が負のモチベーションになっているなと思った。

自分は、普通の人の正の評価を殆ど気にしてない一方で、負の評価はめちゃくちゃ気にする非対称な感情の持ち方があるので、普通の人向けに何かすると、やる気のコストパフォーマンスが物凄く悪いんだなと思った。このコストパフォーマンスの悪さは、かなりしっくりくるモチベーションの説明になってるように感じる。

つまり、コストパフォーマンスの悪さを解消して、正のモチベーションをひきだすためには

  • ニッチで高度なものを作る
    • ニッチ向け (小)
    • 荒削りで良いがアイデアを詰め込んで見所があるもの
  • 批判されようがない完璧なものを作る
    • 普通向け (大)
    • ボロを出せないのでシンプルにせざるを得ない

の2択になりそう。当然後者のほうが難しい。後者をやるとしたら、「何年もやっている得意分野で」「何年も使っている枯れた技術を使い」「単機能である」ことが必要で、これらの要素がないと、到底完璧なものは作れないし、よって、少しでも出てくる負の評価のほうが圧倒的に正の評価を上回るので、手をつけることができない。

やる気は資本で、やる気を投入することは投資であって、回収できないといけない。最終的に資本であるやる気が投資した分より多く返ってくることが見込めなければ、それはしてはいけない (ギャンブル)。

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他人をバカにする態度は (相手がどんなにバカに思えても) 絶対に伝わるし、「理解できないだろうからやめよう」っていうのは、すごくいびつな形で相手に伝わることになる。

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