時間というのは決してとりもどせないものだ。どんな人間だって時間を経れば死ぬ。ときどき「生まれたときから何かを失いながら生きているのかもしれない」とか言う人がいるけれど、その失なっているものというのは時間だ、と僕は思う。時間を消費して何かを得る。何もしなければ時間を失う。何かを得たとしても、時間は二度と戻ってこない。失なった時間よりも価値のあるものを得られなければ、本当にただ死ぬためだけに生きていることになってしまう。

四六時中考えていられること、例えばプログラマであればプログラミングのこと、デザイナであればデザインのこと、それぞれがそれぞれの貴重な時間をかけている。貴重な時間をかけて考えられたことについて、そこまで時間をかけていない人が言えることは何もない。真剣に時間をかけて考えられたことというのは、その人の、生の一部であるから、それをないがしろにするということは、部分的に殺人をしていることと一緒だ。

WEB+DB PRESS 総集編 [Vol.1~60] - 森田 創cho45ミック増井 俊之山本 陽平角谷 信太郎中島 拓縣 俊貴大塚 知洋伊藤 直也小飼 弾

森田 創cho45ミック増井 俊之山本 陽平角谷 信太郎中島 拓縣 俊貴大塚 知洋伊藤 直也小飼 弾

3.0 / 5.0

来週発売の WEB+DB PRESS 総集編 にエッセイを寄稿させて頂きました。内容的にはすごく個人的な話中心ですが、読んでもらってインターネットで情報発信をするのは面白そうだとか、エンジニアリングが面白そうだとか、クズでもどうにか生きていけるんだとか、何かしら思って頂けると嬉しいです。

僕以外の人の名前を見ると、この中に並ぶのがすごく恥かしいのですが、まだ成功していない人間の立場で (「Topエンジニアが」と書いてあるけど、自分はそうなれていないので、そうなるためにどうするかを) 書いたつもりです。

ちなみに僕は森田さんのエッセイを読むのが特に楽しみです。

高校生のときなんかは「世の中の人は『責任』にどう耐えているのだろう」とよく思っていた。あらゆる「責任」に自分は耐えられる気がしていなかったので、責任を負って対価を得ること、つまり仕事ができないと思っていた。なので一切のアルバイトもしたくなかったし、想像されるような「責任」に耐えて仕事をしている自分を想像することができなかった。

今思うと、当時の自分は「責任」を無限にあるものだ、と無意識に考えていた節があり、そのために過度の責任を想像しすぎていた。「責任の量」という考えかたがなかった。実際の仕事では、アルバイトにはアルバイトの責任の範囲があるし、社員なら役目に応じた責任の範囲がある。当たり前のことを知らなかった。

「果たすべき責任には上限がある」という気付き (大学生以降、働きながら気付いた) は、多少仕事に対して楽観的になれるきっかけになった。ずっと気付けてなかったら今ごろ死んでいると思う。