小さい子どものときからずっと安心感が敵だなんて思っていたわけではなくて (僕は本来どちらかといえば楽観主義で、性善説が好きである)、いろいろなことに影響されて、徐々にそう思うようになってきていると思う。徐々に変化していっているために、自分でも何が原点になってそのようなことを思い出したのかは全くよくわからない、すなわち決定的な何かしらの出来事というのは思いあたらない。

思いつくところをあげれば、お金を稼げない恐怖 (自分の無能さに対する恐怖) すなわち生活の恐怖から発生する、成長していないことや没個性への危機感というのは高校のころから生活の中にあって、これはそういった考えに至る一つの要素になっているように思う。

また「安心感は敵」というフレーズに関しては

一応臨戦状態です
生きていたいと思ったんです
一応臨戦状態です
好きなようにやるだけです
あとは何か適当さ
安定感なんて敵だろう

My Love's Sold - Syrup16g

や、

安心な僕らは旅に出ようぜ

ばらの花 - くるり

あたりがたぶん原典になっている。

しばらく写真なしです (撮っていないので…)

まともな日記を書いていないようだ。ちゃんと事実を記録しないといけない。

昨日ははこべさんの家で会社の人達数名と牡蠣パーティだった。牡蠣を食べまくったのと、聖☆おにいさんを読んだのと、まどかマギカ最終話を見たのと、スタードライバー10話(マリノ回)を見たのと、スタードライバー最終回を見たのと、ITホワイトボックスを見ながらあーだこーだ言ったりした。何も考えずに楽しんだ。

自分にはホントに仲間というものがいないなと、しばしば思う。その「ああ仲間いないな」と心底から思うときの絶望感には、寒けがして凍りついてしまう。黙りこくって、ひたすら孤独感に耐えなければならない。そしてどんな内容も外にはでず、何かあったということだけが残る。誰も、どこにも味方はいない。

適切に状況を説明して理解してくれる人間なんてのはそうそういない。利害関係にない人間であればなおさらいない。利害関係にある人は味方でも敵でも彼らの言葉に意味がないので、説明する意味がない。何の意味もない。

ウェブエンジニアなので、設計のときは安全方向にする。フェイルセーフを重視する。性悪説的な考えかたを強要されている。

手を動かすのを止めた人はダメになる一方だな、と深く思った。

僕が日記を書くのに必要な機能は全部実装してしまった感じがする。

キーボード (HHKB Pro2) がだいぶ汚れてしまっていたので、頑張ってマイナスドライバーで全部キーをはずして掃除をした。綺麗になるとすごく気持ちよくて、今とてもキーボードを打ちまくりたい気分になり、このエントリを書いている。

実際のところ、外付けキーボードは最近あまり使っておらず、MacBook のキーボードで直接タイピングしていることが多いんだけど、たまに HHKB とかさわると非常に気持ちいい。