あーそうか。
いいと思えるものを作る人、あるいは作品として好きなもの、って、侘び寂びが関係してるのか。
いつか終わることを考えられるもの、朽ちる過程を見ているもの、とかそういうことか。負けることの重要性ってのもここに含まれているのかもしれない。
人間ごっこを抜きにしても、客観視は絶対に必要だなぁ。でもなんていうか、主観 vs 客観っていう感じの客観視じゃなくて、とここで辞書で「客観」「主観」をひいてみると、そもそも主観 vs 客観なわけじゃないんだなぁ、そうそう、メタ主観か、なんでもいいけど、とりあえずメタメタ
分かってみれば簡単で、世の中には「楽しく生きたい」と思う人ばかりじゃないってことで、例えばかたっぱしから恐ろしい議論をふっかっけたりする人とは、そもそも求める先のものが違うから、一緒に生きていけないし、前提が違うから、話にならない、っていうすごく当たり前のことに、今さっき気付いた。
最近どうも、ある種の人たちは、ほかのある種の人たちを、人間だと思っていないんじゃないかってなんとなく感じていて、今考えてみれば、それぞれがそもそも根底で違うから、人間だと思えないというだけなのかもしれない、みたいなところについた。いやよくわかんないんだけど、不毛なんだなって思った。不毛なのが悪いわけじゃないけど、この不毛は本当に不毛ですありがとうございました。
だから、あるもので満足しているのが一番なんだなぁ。前もってわかることはない。