デザインの輪郭を読み終わって、なんどか読み返して思ったこと。

高校のときにちゃんと自分の世界観を構築しようと思って (日記に書いたはずだけど、tDiary のころの日記みたいだ) から、結構時間が過ぎた。この世界の構築作業と、デザインの輪郭の話がなんとなく重なって面白い。世界観を考えるとき球形にひかれた境界を想像するんだけど、それの境界の決め方もそうなんだなぁとかなんとか。でも、他人とシェアするものじゃない。

しかしでも、まだ大部分が穴があいている球だから、その辺ちゃんとハッキリさせないと、現在位置を自覚せんと、ちょっとこれじゃ曖昧すぎるから自分の中では明確にしたい。

  1. トップ
  2. life
  3. 世界の輪郭
  1. トップ
  2. thinking
  3. 世界の輪郭

Atom はちゃんと読めないっぽい? うちのサイトのフィードが表示されないのでもしゃもしゃ調べてみた。

  • エントリとかの URL が変換されない (リンク飛べない!) っぽい。
  • content が表示されないっぽい。
  • alternate がないとそもそもその entry を無視するっぽい。

よくわからないけど、とりあえず全部絶対 URI にして、alternate 書いといた。しかし alternate 書いてなかったのは気付かなかった。

  1. トップ
  2. web
  3. livedoor Reader, Atom

あーそうか。

いいと思えるものを作る人、あるいは作品として好きなもの、って、侘び寂びが関係してるのか。

いつか終わることを考えられるもの、朽ちる過程を見ているもの、とかそういうことか。負けることの重要性ってのもここに含まれているのかもしれない。


人間ごっこを抜きにしても、客観視は絶対に必要だなぁ。でもなんていうか、主観 vs 客観っていう感じの客観視じゃなくて、とここで辞書で「客観」「主観」をひいてみると、そもそも主観 vs 客観なわけじゃないんだなぁ、そうそう、メタ主観か、なんでもいいけど、とりあえずメタメタ


分かってみれば簡単で、世の中には「楽しく生きたい」と思う人ばかりじゃないってことで、例えばかたっぱしから恐ろしい議論をふっかっけたりする人とは、そもそも求める先のものが違うから、一緒に生きていけないし、前提が違うから、話にならない、っていうすごく当たり前のことに、今さっき気付いた。

最近どうも、ある種の人たちは、ほかのある種の人たちを、人間だと思っていないんじゃないかってなんとなく感じていて、今考えてみれば、それぞれがそもそも根底で違うから、人間だと思えないというだけなのかもしれない、みたいなところについた。いやよくわかんないんだけど、不毛なんだなって思った。不毛なのが悪いわけじゃないけど、この不毛は本当に不毛ですありがとうございました。


だから、あるもので満足しているのが一番なんだなぁ。前もってわかることはない。

  1. トップ
  2. thinking
  3. 侘び・寂び

積み

あー涼宮ハルヒの1から3まで (全部 (+1) 借りた。) を読み直したけど、確かに1巻で描写があるなぁ (225ページ) 最初読んだときは、まだ切り替わってなかったから印象に残らなかったんだ。

内容をすんごい忘れていたけど、1巻で既にツンデレというか、ツンシュールというか、そういうアレを見せてるんだなぁ。

191ページに SQL

どうでもいいけど、長門さんの台詞を殆ど読み飛ばしていることに気付いた。

  1. トップ
  2. life
  3. 太陽がもっと高く
  1. トップ
  2. thinking
  3. 太陽がもっと高く