width にあわせて可変する値がほしい。見出しとかを必ず一行におさめたいとき (おいだしたくないとき) とか、つかいたい。

ネガティブマージンで幅のばして、親要素に overflow: hidden みたいなのはやるけど、なんかなぁ。

色の場合、カラーマネジメントを厳密にやって、受けとり手が、作り手の考えている色を忠実にみれるようにしているのに、音楽の場合そういうのないよなぁ。再生装置とかヘッドフォンによって全然違う音がなって、それが受けいれられてる。なんでだろう。最初っからそうだったからかなぁ。でも、スタジオの録音現場では統一したヘッドフォン使うのかな。そうしないとなんかバランス狂うよなぁ。

っていっても色だって、環境光で変わってしまうから厳密ではないはずだ。でもそれは人間の眼が高性能でホワイトバランスの修正ががっつり入るから問題ないのかもしれない。環境光で色がついているって考えながら見なければ、白っぽいのはみんな白に見える。モニタに白を表示させて、それを視界に入れながら白い壁とか見るとはっきりわかるけど……

あんまり書きたくないことで、書くとなんかいわれることだけど、おれには根本的にいろんなセンスが欠落していると思う。そもそも幼小中と普通街道まっしぐらだったのだから、そういうもんなんだろう。

プログラム書くにしても、写真をとるにしても、デザインするにしても、文章書くにしても、一線が超えられない。プロへの一線 (と俺が考えている線) があって、なんかふっきれた強さ、みたいなのがない。その強さはセンスと強く結びついていて、どうやって超えられるのかよくわかってない。それっぽい何か、しかつくれない。もっと頭がおかしくないといけないはずだ。幸いおれはリア充じゃなくて、嫌な友達もいないから、友達に対して恥しいからできない、みたいなことはない。いつのまにか「どうでもいい人」に対しては誤解されてもどうでもいいと思えるようになっている。

頭のなかで、それをしようとしたときに、強制的にブレーキがかかって、線ぎりぎりのところでとまってしまう。たぶんやればできるはずなんだけど、することができない。というかそもそも「やればできる」って、あたりまえなんだから、「やった」か「できない」かのどっちかなんだ。する気になれないのも「できない」だ。する気がないけど、どこかからやる気を調達してきてやったなら、「やった」なんだよ。すごくもやもやしている。


考えてもしかたないから、とりあえず保留にして、そのうちいつのまにか超えているんじゃないかと楽観視したりもするけど、基本的には焦っている。はやく超えたいと思っている。そうしないと「次」が見えてこない。「次」がなんだかわからないけど、わからないこそ「次」なんだろう。

わざと誤読する人か。じぶんはあの文章でだれのことも貶してはいない。一般的なイメージを言っただけだ。どっちも難しいことはわかりきってる。「どっちも」むずかしいんだ。