本当に全くの初心者だったとき、僕には時間があり余っていたので、試行錯誤ないし試行錯誤のための試行錯誤を、いくらでもできた。周りにはコンピュータに詳しい人はいなかったから、独学するしかなかったし、掲示板での初心者的な質問は、すると殺される類ものだと思っていたから、質問したこともない。

誰かに教えてもらったことがないから、基本的なことについて、どうやって伝えたらいいか全くわからない。頭のなかでなんとなく考えた言語化するまえのものを抱えながら、実行してみて答えあわせしていただけで、そこには単純に、試行錯誤しかなかった。カリキュラムなんてなかった。言語について纏まった本は殆ど購入したことがない。作りたいものドリブンの学習しかしたことがなくて、(困ったことに) その方法でしか学習できない。

初心者のときに、周りに教えてもらえる人がいなかったというのは、よかったことなのかもしれない。でも遠まわりをしている。そしてゴールは見えない。いまだ安定しない。わるかったのかもしれない。一定までは、誰しも孤独に試行錯誤をせざるを得ないから、下手に誰かがまわりにいないほうが、集中できるのだと思うけれど、どっちがいいかは 一生でどちらかしか経験できない以上、わからない。

検索したらでてきたのでセルフリブログ

環境に求められている能力がないということは、つまり自分が自分でないことなんだよね。で、その差がいまいち釈然としなくて気持ち悪い感じ。じゃあその自分でない自分っていうのは、誰なんですかっていう、よくあり気な問答があるわけで、問答とか言いつつ答えがない罠が待っているわけで、なにこれ、みたいな。

アウトプットしないといけないのに、どうもアウトプットする能力が明らかに足りていなくて、あるいはモチベーションとかも足りていなくて、結局何もアウトプットできない。作れない。

どういう人がすごいかっていうと、なんだかんだでアウトプットが大きくて、それなりにフィードバックが (DIS であれ) ある人なんだよなぁ。そしてそのフィードバックを次に生かすことができるような、なんか、無理だな。

もちろんそのアウトプットは、適切な基礎があってこそで、あるラインを越えるまで、絶対的に孤独な向上作業であるはずだけれど、何か間違ってラインを越えないうちに誰かと何かをやったりするのは、困ったことになる。不安定なものを余計不安定にしてどうするんだ。しっかり基礎をやるべきだ。前も似たようなこと書いたなぁ。

http://lowreal.net/logs/2006/08/05/1

よく、ある程度熟したアーティストが、他のアーティストとコラボレーションして「いい刺激になった」とかいうけど、あれはそのアーティストが既に一つ山を越えていて、ある種完成されている (つまり、完成=安定の状態を崩すための刺激) からであって、その山を越えるまではずっと孤独なんじゃないかって

http://lowreal.net/logs/2006/04/14/1

そういえばコンピュータ関係で、最初にとても悩んだ疑問は「アップロード」の概念だったけど、今も昔もダウンロードの反対としか説明できない。なんでダウンロードが理解できていてアップロードが理解できていなかったのかが今となってはよくわからない。サーバ・クライアントモデルだとクライアントはダウンロードしかできないと思いこんでいたのかもしれない。サーバ・クライアント、みたいなモデルをいつ学んだかはわからない。

「自分」が書いたものは、誰かのコピーをシュレッダーにかけたものをかきあつめた断片みたいなものだから、もとはといえば他人のものなのだ。どれひとつとして、自分自身の言葉なんてものはない。過去の自分がとりあえず纏めあげたものは、頭に残っていて、検索しやすい。所詮過去の自分なんてのは他人で、しかも死んだ人間だから、好きなようにできる。特別な意味なんてないのだ。

サブセッションの自分の発表、みなおしたけど、とりあえず纏めがなくて dnbk した。30分は途中で冷静になって、全く見当外れのことを言っているのではないかと憂鬱になる。動画の記録が残るのは本当にいいなぁ。会場で感じた自分の印象と、客観的に見てみた印象ってのは結構違う……

本当に、あの程度の発表をするのにもなかなかしんどいのに (もちろん言いたいことを伝えるためにはしかたないのだ)、スピーカーをやって、スタッフをやって、普通に働いているなか、金・土・日と動けるのには本当に尊敬しかできない。

うんこ! うんこ!!!!!!

書き捨てているから何でも書けるにすぎない。あらゆる失敗がつまっている。

シュレッダーにかかったものだって、かきあつめて繋ぎあわせればなんかになるんじゃないかと思う。おれは本当のことを書けない。本当のことを知らないし、本当のことだと信じていることもないからだ。一人称がころころ変わるのはパッチワークの証しである。

いいなー すげー かっこいいなー よくわかんないけど「敬礼返しながらこっそりベロ出した 一番最高の笑顔で」のところがめっちゃいいなー

そういえばつくばから帰ってくるときの片瀬江ノ島行きの電車の中で、なんかこう、不思議な女性がいたのを思いだした。顔を伏せて寝ていたから顔は見えなかったけど

中継されるからそれでいいや、っていうのは、それはそれでいいのだけど、CD あるからライブ行かなくていいやってのと全く同じだと思います。物理的な距離、場の共有っていうのは、すごく重要なんです。ネットばっかりやってる余計感じます。大学の講義のように形式知を効率的に得るための場ではなくて、空気の振動から、何かを感じとる場だと思っています。

眠れないけど、頑張って寝よう……