ある状態である対象に言わないほうが良い言葉というのは多々ある (言葉というか、それを含めた行動について)。「それをお前が言ったらダメだろ……」という経験は誰しもしたことがあると思う。個人対個人の関係において、お互いにだ。

前に書いたと思うけれども、バランスの話だ。

コードを読むときは、読めないコードが出てきたときに、読めないことを恥じ、コードを書くときは、読めないコードを書かないようにし、読めないコードを書いてしまったときにはそれを恥じる。そういうバランスが、御互いに必要っていう、あたりまえのことだ。そこにコストを感じすぎるなら、たぶん一緒にやる相手を間違ってる。

/2008/04/28/#post-1209318039

いろんなことは互いのバランスでできているから、例えば「していいよ」と言われてもしてはいけないことはたくさんある。こんなのすごく、すごくあたりまえのことだと思う。

/2007/11/09/#post-1194619425

「言わないほうが良い言葉を言わない」ことを「思いやり」と呼び、それがない状態のことを「思いやりに欠けている」と呼ぶことにした。思いやりは正確に正しいわけではないので、思いやりがあることが必ずしも正しいとは言わないが、それがないことに鈍感なのは、思いやりに欠けると云えると思う。

事前情報があんまりない状態 (インターネットとアバターがでてくる、ぐらいしか聞いていない) で見た結果、最終的にセカイ系ギャグアニメ、と僕は思ったのだけれど、借りる経緯から、なんかもうちょい示唆のある内容をなんとなく期待していたので、ちょっとびっくりした。セカイ系ギャグアニメとしてはとても面白かった。

ただ、途中でネットを使っていない人が、重要なのは他人と目を合わせて話すことだ的なことをメッセージのように言ってしまうのが個人的にはすごく残念で、こういうセリフは「ネット側」の人、例えば作中であれば健二あたりが言うべきことであったと思った (健二は境遇的に適任だろう)。「重要なのは他人と目を合わせて話すことだ」というのを言うためには、目を合わせてコミュニケーションする方法と、目を合わさずにコミュニケーションする方法のどちらも知っていないとできないことだ。(「ネットを使ってない人」のステレオタイプの演出なのかもしれないけど。)

とはいえ、それはたぶん僕が気にしすぎなことで、些細なことなんだろう。

オープニングは「何か新しいことが始まる」みたいな感じで (なんとなくリトルビッグプラネットのチュートリアルにも感じるなんともいえない良い感じを味わった)、すごく良かったし、小学生ぐらいのときまでは親戚がたくさん集ってたことを思い出したし、「普通の人」の「持っているもの」がすごく誇張されて、それが活躍する (老人Zを思い出す) というのは好きだし、主人公が数字に強いでもそれだけっていう設定は好きです。