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帰宅するとそうでもない
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あー無駄だったのだな、とふと思うときがあって、つまりあの、嫌で嫌で仕方ないことをしていたことというのが、ある程度報われるときがくるのではないかと、今でも思い続けている中で、そんなわけないのね、というときがあって、そうするとまあ翻って、嫌なことするのは本当に何にもならない、無駄なことだなと、全然、当たり前のことにまた気付くことになるわけです。
なんか、やはり、そういうことに気付かねばならないということは、嫌なこともやらなくてはいけない教みたいなのに、知らないうちに入信させられていて、価値観を強要されているのだなと思う。こういう、人生で全く無駄にしからない文化的教義を発見しては、みな破棄していきたい。
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山登りって、子供のときすごい嫌いだったはずなのに、今は割と好きだ。目標がはっきりしているし、目標に辿りつくまでの方法もはっきりしている。あとは単に方法にそって事 (足) を進めれば、確実に目標に達成できる。とにかく、簡単だ。
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コード書くこと、そのこと自体は別に好きではなくて (書くこと自体が好きだったら、コードを短くするためのライブラリとか作らないわけです)、コードを書いて何かしら納得いく目標が達成されるまでがセットで「コードを書いて楽しい」という気持ちなのですよね、たぶん。「わかりにくいコードがわかりやすく綺麗になった」とか「あれが簡単に実現できるようになった」とか……
まぁできるよね、ってのを、単にコードに写していっても面白くない。あーすればもっと上手くいくなっていうのをちゃんと組込めないといけない。
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さきが想像できれば、必要なものが自動的に見えてくるけど、そういうことではないのかな。そういうことではないのかもしれない。もっと別の部分で負のモチベーションが、強烈に嫌な気持ちになる何かがあるのかもしれない。
よくよく考えてみると、作ったものに対してうける負のもろもろ (批判とか・理解されないこととか) と、正のもろもろ (褒められるとか、技術的やらプロダクト的に納得がいくとか) を比べたとき、ちゃんと正のほうに向いてないと、そりゃその差分が負のモチベーションになっているなと思った。
自分は、普通の人の正の評価を殆ど気にしてない一方で、負の評価はめちゃくちゃ気にする非対称な感情の持ち方があるので、普通の人向けに何かすると、やる気のコストパフォーマンスが物凄く悪いんだなと思った。このコストパフォーマンスの悪さは、かなりしっくりくるモチベーションの説明になってるように感じる。
つまり、コストパフォーマンスの悪さを解消して、正のモチベーションをひきだすためには
- ニッチで高度なものを作る
- ニッチ向け (小)
- 荒削りで良いがアイデアを詰め込んで見所があるもの
- 批判されようがない完璧なものを作る
- 普通向け (大)
- ボロを出せないのでシンプルにせざるを得ない
の2択になりそう。当然後者のほうが難しい。後者をやるとしたら、「何年もやっている得意分野で」「何年も使っている枯れた技術を使い」「単機能である」ことが必要で、これらの要素がないと、到底完璧なものは作れないし、よって、少しでも出てくる負の評価のほうが圧倒的に正の評価を上回るので、手をつけることができない。
やる気は資本で、やる気を投入することは投資であって、回収できないといけない。最終的に資本であるやる気が投資した分より多く返ってくることが見込めなければ、それはしてはいけない (ギャンブル)。
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他人をバカにする態度は (相手がどんなにバカに思えても) 絶対に伝わるし、「理解できないだろうからやめよう」っていうのは、すごくいびつな形で相手に伝わることになる。